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矢部城跡八幡宮ではいただけません
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やべじょうあとはちまんぐう

矢部城跡八幡宮
群馬県 韮川駅

パーキング
駐車場
あり

なしだが、城跡前に1台程度なら駐車可

御朱印について
御朱印
-
ありません

矢部城跡八幡宮について

矢部城という城跡に立つ八幡宮の石祠。
明治から終戦直前まで数々の災厄を撒き散らしたという強烈な祟り神。

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くし
くし
2024年02月16日(金)
1450投稿

【緊急追加調査 祟り神】
先日回った、富若・只上・市場付近について、投稿前に補足情報などがないか調べていたところ、富若熊野神社から数百mも離れていないところに、強烈な祟り神があるというのを発見!Σ(;°Д°)

矢部城という太田金山城の出城に建っていた八幡宮だそうで、天正十三年に北条氏の攻撃で落城し城主が自刃、その怨念により、土地に手を出そうとした者に次々と災厄が降り掛かったという・・・
しかもそれが起こったのが、明治元年から昭和の終戦前日に掛けてまでと思いっきり近代!Σ( ̄□ ̄;)
明治に起こったという雷電神社の雨乞いや南光寺の狢の話など序の口でした(; °Д°)

長いので祟りの内容については由緒を見てほしいのですが・・・怨霊自体も同じ只上に伝わる平将門公なんか目じゃないくらい強力。
修験道の法印と日蓮宗の行者の挑戦をはね除け、物理的に白蛇まで出現させたうえに
「二日間祭りを行えば勘弁してやる!(°Д°)」
と、居丈高に要求までしてる!(((;°Д°)))ガクガクブルブル

ところで、ここからはちょっと余談なんですが・・・
2ちゃんねる発祥の都市伝説で「絶対に入ってはいけない辻」というのがあります。 
長いのでストーリーは書きませんが、有名な話で、まとめサイトや動画も多数作られてますので、興味のある方は御参照ください。

この都市伝説の舞台となっている「辻」が、この矢部城跡八幡宮と妙に符合するんですよ!(゜゜;)

●北関東の寒村
●辻とは言っても小さな丘のような所で、幅3m、奥行き10m、高さ1mほどの大きさ
●辻の上には、小さな石碑と半鐘
●周りは田んぼに囲まれていた
●いじったりすると血の雨が降る
●時が経ち、今、その辻の周辺には高速のインターチェンジが出来た。北関東自動車道という高速らしい

半鐘がねーじゃねえか(°Д°)というお叱りもあるかもしれませんが、由緒をよく見ると「土居の東端に火の見櫓の鉄塔が立っている」・・・現存はしていないようですが、以前は半鐘もあったようです!

これを見た時は、ひょっとして有名な都市伝説の舞台地を発見してしまったんでは!?(*°∀°)と興奮しました。
まぁ2ちゃん発ですので、話自体が創作の可能性も高いですがね(^^; 信じるか信じないかはあなた次第。

矢部城跡八幡宮(群馬県)

ネット上の写真では塚の頂上付近はわりと開けてたんですが、実際に行ったら枯れ草で埋もれてた(*_*;

矢部城跡八幡宮(群馬県)

神社自体はご覧のような石祠ですが、全体的に黒ずんでてなんか禍々しい(゜゜;)
さすがに願い事なんてする気になれず、手を合わせるに止めました・・・

矢部城跡八幡宮(群馬県)

右側に正八幡大菩薩と矢部城家臣十三人の霊を祀った石神
建立年が大正十一年と新しく、伝わってる話と妙に符合するのが生々しい((( ;°Д°)))

矢部城跡八幡宮(群馬県)

横の方に城跡の土塁遺構が続いてる様子
実は少し前までは畑だったのですが、つい最近になって前に家が建ったらしい(゜゜;)

矢部城跡八幡宮(群馬県)

正面から凸した結果、ジーンズも靴下も靴も種だらけになりました(*_*;
実は裏から接近した方が遥かに楽だった(^^;

矢部城跡八幡宮(群馬県)

何か関係あるかわかりませんが、東50m程の辻に立ってた二十二夜待ちの如意輪観音

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矢部城跡八幡宮の基本情報

住所群馬県太田市只上町
行き方
アクセスを詳しく見る
名称矢部城跡八幡宮
読み方やべじょうあとはちまんぐう
通称八幡様
御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》正八幡大菩薩
《配》矢部城家臣十三人の霊
ご神体石祠・石神
創建時代不詳 矢部城落城は天正十三年(1585年)
創始者不詳
ご由緒

【矢部城】
太田市只上向矢部字城の内に矢部城址がある。下矢部西側の田の中に土居と濠の一部が遺り、その土居の東端に火の見櫓の鉄塔が立っている。これも矢田堀城と同じような規模の単郭城で、両者共、金山城の支城として同一企劃の下に築かれたものと思われる。
塁の上の碑に「正八幡大菩薩、祀家臣十三名の霊魂、大正十一年四月×日、納主須藤茂吉」とあって、天正十三年、金山籠城の際の戦死者を弔ったものであろうか。
(「群馬県古城塁址の研究 上巻」より)

【矢部城の不思議】
矢部城が小田原に攻められたとき、味方の応援が得られなくて孤立してしまった。このため、城もまわりの民家も一面焼き払われてしまった。このとき、城主は自害したが、ある家来が逃げるとき、城主の首を上矢部の愛宕神社の本殿の下に埋めて逃げたという。
城跡には八幡様がまつられているが、その後、この付近に手をつけると祟りがあるという。
明治の初年、他から養子にきた人が、このいきさつを知らずに、八幡様のあった榎の木の枝を伐りたいとムラの世話人に申し出た。ムラの人は、不思議なことを言う人だと思いつつ、これを許したという。その人は、枝を伐ってきて薪につかったという。するとその人の母屋は全焼してしまった。
榎の木は幹だけが残っていたが、ある法印さんが、おれが清めるからそれをもらいたいとムラの世話人に申し出た。ムラの世話人は、これを許して伐らせたという。法印は、この榎の木を水車の心棒につかって水車をつくった。すると、工事が終わって三日目に、母屋が全焼して、七日目には法印の長男が水死してしまった。
その後、八幡様に手をつけるものはいなかった。
たまたま、現在の持主の先祖が国から土地の払い下げをうけた。八幡様を移転してはたけにしようとした。そのとき、払い下げをうけた人の嫁に子供ができ、乳をくれていた。すると、子供が急に重くなった。驚いて子供をみると、首に白ヘビがまきついて嫁をにらんでいたという。
払い下げをうけた人は、日蓮宗の行者であったので、すぐに行に入った。すると、八幡様の怒りが出た。二日間おまつりしてもとの所に戻せば、勘弁するとのお告げがあった。そのとおりにするから是非勘弁してほしいというと、その白ヘビは、どこともなく消え去った。その後、八幡様をもとの城跡に戻して、ムラの人を全部呼んで、二日間おまつりした。佐野の太神楽や剣道の試合などを催して盛大におまつりした。赤飯が食べ放題であった。半めしを食べていた時分なので、赤飯は非常においしかったという。
その後、終戦の年の五月、食糧増産のためサツマを植えるという区長からの命令が出た。しかし、皆は尻込みをして、植える人はなかった。区長が、神様の罰があたるならおれがうけるから是非植えてくれとムラ人を説得した。ムラ人もこわごわとサツマを植えた。ところが、終戦の前日、下矢部の一番裏の家の藪から東北にかけて焼夷弾が落ちた。これにより、かつて矢部の名主をしていた家とか醤油矢部の数戸が全焼した。
八幡様に手をつけると、火の雨が降るという昔からの言い伝えが実証されてしまった。現在では、八幡様に手をつける人はいないという。
(「太田市史 通史編 民俗(下巻)」より)

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