やはたうすのみねぐう
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八幡磨能峰宮の基本情報
| 名称 | 八幡磨能峰宮 |
|---|---|
| 読み方 | やはたうすのみねぐう |
| 通称 | 下領八幡宮 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約15分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 駐車場にあり |
| 電話番号 | 0837-53-4138 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主祭神》 天照大神 蛭子大神 《配祀神》 応神天皇 神功皇后 宗像三女神 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 孝霊天皇の御代 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 切妻造 |
| ご由緒 | 社伝によると、大和時代の孝霊天皇の御宇に創立し、天照大神・蛭子大神の二神を奉祀し、宇周宮又は磨能峰宮とも称した。其の後天照大神・邇々杵尊・稲田姫命・大国主神・保食神・神武天皇を合祀して稲六所の明神と崇められ、穴門国の総社となったと伝える。平安時代の仁寿元年(八五一)、勅許により位階を進められ従五位下に叙せられ官祭となる。鎌倉時代に山城国の男山八幡宮の分霊を合祀する。南北朝時代後円融天皇が永和元年(一三七五)、神田三段を寄進せられ、室町時代正親町天皇が永禄三年(一五六〇)に神田二段を献上される。この外、社領として五〇貫二〇石あったが、その後乱世となり没収された。やがて大内氏時代には、祠傍の田地数百歩を神饌料として供えられたという。江戸時代の宝暦元年(一七五一)、藩主毛利宗広が祭典を施行されるが、その後は神前に幣帛を捧げられることが常例となった。社殿については、承応元年(一六五二)、天明二年(一七八二)の再建の棟札がある。現在の社殿は、明治十二年(一八七九)、造営されたものである。『文徳實録』所載の社であることから、明治二十九年(一八九六)、社名を八幡磨能峰宮とし、同三十九年(一九〇六)、神饌幣帛料供進指定神社となる(旧県社)。[山口県神社庁HP当神社ページより抜粋] |
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