とみさわかんのんどう
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地域の方々の気持ちを感じる立派な彫刻です。
徳一大師ゆかり「菊多七観音」のひとつ、磐城三十三観音の富澤観音堂。
駐車場の有無が心配でしたが、まずは場所を確認するつもりで行ってみました。
実際に到着してみると、石段前のスペースに寄せて駐車できました。
頂上には江戸時代の立派な観音堂があります。
参道入口。
新しい石碑に、詳しい由緒が書いてありました。
味わいのある石段をあがると、大きな富澤観音堂が見えてきました。
立派なお堂は江戸時代の再建。
藩主・本多忠壽侯が老中格となった記念に、地域の方々が資金を出し合ったもの。
自分たち小藩の殿様が、幕府老中になったという慶事。
地域の方々の気持ちが伝わってくる、見事な木彫の装飾です。
歴史
【 創建 】
大同2年(807年)、災害に苦しむこの地域を徳一大師が訪れ、自ら彫った観音像を7ヶ所に祀ったと伝えられています(菊多七観音)。
その中の一つが富澤観音です。
【 建て替えの記録 】
109段の石段を登ると、石燈籠を構えて大きな観音堂が建っています。
棟札によれば、延宝8年(1680年)にお堂の建て替えが行われたことが記されています。
そして、48年後の享保13年(1728年)に三間四方のお堂が再建されました。
さらに、18年後の寛保3年(1743年)にまたお堂が建て替えられました。
【 殿様の老中格就任を祝った現在のお堂 】
藩政時代の川部町は泉藩に属しており、名君として慕われた藩主の本多忠籌(たたかず)公が老中格に就任したことを祝って寛政3年(1791年)に建て替えられ、現在のお堂になりました。
また寛政6年(1794年)には109段の石段が組まれました。
当時の庄屋であった結城氏(代々のお堂の鍵主である蛭田家の祖先)は、再度にわたり建立資金の半額を負担していました。
当時の別当は明治初年に廃寺となった、富沢山無量院長楽寺という寺でした。
【 本尊の特徴 】
本尊の聖観音立像は木造寄せ木造りで、均衡のとれた光背を背にし、蓮華座に立っています。
顔容のおだやかさと指のかたちのふくよかさは、悩める者を招き慈悲を与えるお姿です。
【 地元の協力 】
お堂を維持するために、安永4年(1775年)には屋根替えが行われ、嘉永3年(1850年)にも屋根替えが行われました。
さらに昭和25年(1950年)には屋根を瓦に、昭和54年(1979年)には回廊を修復、平成13年(2001年)には屋根を修復されました。
これらの修復は地元の方々によって行われました。
名称 | 富澤観音堂 |
---|---|
読み方 | とみさわかんのんどう |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
---|---|
宗旨・宗派 | |
創建時代 | 大同2年(807年) |
開山・開基 | 徳一 |
ご由緒 | 【 創建 】
|
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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