りょうふくじ
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楽しみ方良福寺のお参りの記録一覧
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🚐を南へと走らせ💨次の目的地へ到着です。
※本堂内は¥300/人で拝観可能でしたが、今回は本堂外から🙏。
大和郡山市の西南、安堵町との境に近い西町にある蛭子(えびす)神社の境内の一堂が良福寺である。文殊堂とも呼ばれる。
御本尊は鎌倉時代に造られた文殊様です。江戸時代に補修された跡が残っているものの、善派仏師・善円に似た当時の作風を留めています。
善派は慶派の本流とは一線を画し、奈良を中心に活動していたことが遺品からわかっています。
◯善円
鎌倉中期、奈良を中心に活躍した善派の仏師。その作風は当時流行の慶派との関係を無視できないが、やや趣(おもむき)を異にした穏やかさをもつ。
現存する作品は1221年(承久3)の十一面観音立像(奈良国立博物館)、1223年(貞応2)~1226年(嘉禄2)ごろの地蔵菩薩(ぼさつ)立像(堀口家旧蔵)、1225年(嘉禄1)京都・海住山寺(かいじゅうせんじ)でつくった東大寺指図(さしず)堂釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)、叡尊(えいぞん)の発願になる1247年(宝治1)の西大寺愛染(あいぜん)明王坐像などがある。これらはみな50センチメートルにも満たぬ小像だが、細緻(さいち)な技巧をみせている。善円、善慶、善春ら善派の仏師たちは、西大寺関係の仕事が多い。

奈良県の寺院巡りの3寺目は、2寺目の奈良市に隣接する大和郡山市に在る良福寺です。
浄土真宗本願寺派(多分)で、本尊は文殊菩薩。
この文殊菩薩騎獅像は県指定文化財です。
良福寺は無住で、文殊堂があるのみ。西山自治会にて管理されています。そして、文殊菩薩騎獅像は、年に1度の2月25日に執り行われる文殊会にて開扉され、その日以外の拝観に際しては、大和郡山市まちづくり戦略室に連絡し、自治会長さんと連絡(毎週水曜日のみ)を取って頂き日程調整する必要があります。尚、2月25日が平日の場合に近隣住民の参加が難しくなってきたのと、天皇が代わり2月23日が祝日になった事により、文殊会の日にちを2月23日に変更されました。(将来、天皇誕生日が変われば文殊会の日にちも変わると推測。)
当方の勉強不足により良福寺の縁起、歴史はわかりません。ご対応頂いた自治会長さんからは、元々のお堂の老朽化により昭和54年に現在のお堂に建て替えた以前の事はわからないとの事でした。
カーナビで近くに来ましたが、軽四でも入って行くのを躊躇するほどの細い道。寺院の東側は民家が少なく、道幅もやや広かったため路肩に停めさせて頂きました。境内の手前(東側)に西町公民館で、その隣に文殊堂です。早く着き過ぎたのでのんびり待ちました。約束時刻ピッタリに自治会長さんが歩いて来られて、文殊堂の扉を開けて頂きました。厨子が3つあり、その前には文殊会でのお供えのゴクモチが置かれていました。以前は餅をついて作っていたが、毎年手間暇掛かって大変なので現在は発泡スチロール製に変えたそうです。早速、真ん中の厨子を開けて頂きました。中には文殊菩薩騎獅像。近くから観れるが厨子の中のため正面からのみなのが惜しい。高さ約38cm、玉眼、鎌倉時代13世紀前半の作、均整のとれた頭やプロポーションで、端正な目鼻立ち、截金文様もあり丁寧に彫られている印象。仏師は善円に近い人によると考えられています。文殊菩薩が載る獅子像も文殊菩薩と同作とみられています。また、獅子像内から671枚の文殊菩薩の印仏が発見されました。(印仏は博物館に寄託)
右側の厨子には?菩薩(写真NGでメモるのを失念してしまいました。こういう時に写真があると便利)、左側の厨子には文殊?菩薩のモノクロ写真だけが。昔、盗難に遭い戻って来ないため写真だけ飾ってあるとの事でした。何処にも罰当たりな奴が居るものです。
拝観料(300円)をお納めしたら絵ハガキを頂きました。御朱印は無いとの事でした。
自治会管理のお堂(仏像)について会長さんと話をすると決まって「いつまで面倒看れるかわからない。自分達の世代は何とか続けるが。」と仰有います。若い世代の方々に引き継いで頂ける事を切に願うばかりです。

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