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避来矢神社ではいただけません
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ひらいしじんじゃ

避来矢神社
埼玉県 川俣駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

あり
境内横に5~6台前後

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くし
くし
2022年11月19日(土)
1450投稿

実は今回の旅、最後は常陸でも下総でもなく武蔵国で終えました(^^;
将門公関係の寺社に散々行ったので、やっぱ最後にちょっと魔除け的に秀郷公関係の神社を拝んどこうと思いましてw
なぜか唐沢山城から遠く離れた埼玉県羽生市に、秀郷公が竜宮城から持ち帰った鎧「避来矢」の名を冠する神社を見つけて前々から気になっていたので、この機会にちょっと調べてみようかと・・・
羽生市の寺社参拝は今回が初めて。
わりかし近いんでいつかは行こうと思ってたのですが、この辺り有人社がかなり少なく、受印できるのがほぼお寺のみだったので後回しにしてた(^^;

社伝によると、ある日下野国栃木村から石が飛来しこの石を御神体として崇拝したのが神社の縁起とのこと。
最初は飛来石神社と号していたが、江戸時代に、藤原秀郷公の矢が勝手に避ける鎧にちなみ避来矢神社に改名。

創建年代は天文年間とのことなので、仮に本当に藤原秀郷公や唐沢山城と関係があるとすれば、佐野昌綱かその父上の佐野豊綱の時代。
この神社に伝わるささら舞も上杉謙信に由来するようなので、戦国時代の何らかの動き、例えば佐野氏に近い武士が渡良瀬川どころか利根川も越えてこの辺りに落ち延びてきて神社を建てたのでは?と想像できますが・・・
問題は「下野国栃木村」で、これが現在の栃木県のどの辺に当たるのかがわからない??
順当に考えれば栃木宿、今の栃木市辺りかと思いますが、ここだと佐野氏の勢力圏ギリギリで、どっちかつーと皆川氏の勢力圏なんだよね(^^; うーん・・・(-ω-)
仮に「栃木村」ではなく「栃本村」の誤伝ならばまさに唐沢山の直下なんだけど。

事前にネットで見た写真では、よくある田舎の古びた神社だったのですが、着いてみたら河川改修か何かで近年立て替えられたばかりのようで、境内も社殿もスッカリ新しくなってました(; ゚ ロ゚) 地域信仰は篤いようです。
無人社ですが一応管理してる神職さんはいるようです。電話番号を調べたところ近くにある天神社(無人)とも一致したので、この辺りの神社を一括兼務してる神職さんだと思いますが本務社がわからなかった( ´・ω・`)
まぁたぶん避来矢神社の御朱印とか授与品はないと思うので、突き止められても受印はできないと思うけどw

着いたのがご覧のとおりもう日没後で暗くてよくわからなかったので、いずれまた再訪しようと思ってます(^^;

避来矢神社(埼玉県)

着いたのはもう日没後(^^;

避来矢神社(埼玉県)

明るく写ってますが実際はもう真っ暗です

避来矢神社(埼玉県)
避来矢神社(埼玉県)

この看板も肉眼ではもうほとんど読めなかったw

避来矢神社(埼玉県)

拝殿

避来矢神社(埼玉県)

ささやかながら境内には植木も植えられてます

避来矢神社(埼玉県)

神社裏に下野国から飛んできたという御神体の石があった

避来矢神社(埼玉県)

「甲石」という名が付いてるそうです
隕石とかの可能性も考えましたが、暗くてもうわからずw

避来矢神社(埼玉県)

裏の方に、改築前はおそらく境内にあったと思われるお堂や石碑群
その向こうは利根川の土手

避来矢神社(埼玉県)

一応近くまで行ってみましたが、もう肉眼では碑文も何も読めず(^^;

避来矢神社(埼玉県)

大々神楽の奉納碑だったのか

避来矢神社(埼玉県)

もともと神社のあった場所の礎石かな?

避来矢神社(埼玉県)

摂社が2つ 右は祭神不明

避来矢神社(埼玉県)

左は天満宮でした
もちろん肉眼ではわからず画像で確認

避来矢神社(埼玉県)

石仏も何だかよくわからんな(*_*)
たぶん青面金剛とか庚申だと思うけど

避来矢神社(埼玉県)

一番左のお堂
もう中を覗くのも気味が悪くて調査中止w

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避来矢神社の基本情報

住所埼玉県羽生市上村君191
行き方
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名称避来矢神社
読み方ひらいしじんじゃ
電話番号0480-61-2757
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詳細情報

ご祭神藤原秀郷公
ご神体甲石
創建時代天文年間(1532年〜1554年)
ご由緒

天文年間(1532年〜1554年)に、下野栃木村から大きな「石」が飛来し、その石を崇拝したことに始まるとされる。
そのため当時は、飛来石神社と称していたという。それが藤原秀郷公が百足退治の礼として龍宮の王から授かったと言われる伝説の大鎧である、避来矢(ひらいし)と結びつき、現在の社名並びに形となった。

また当神社に伝わるささらの起源は、元亀・天正の頃(1570~1591)、羽生城救援に出陣した上杉謙信が将兵の士気を鼓舞するため上野国よりささら舞師を招き、この社に奉納したのが起源という伝承がある。

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