真言宗・醍醐寺派葦桁山
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11時に加持祈祷、柴灯護摩、火渡り。
12時くらいに十名くらいずつ、豆撒き。
甘酒戴来ました。
豆撒きの豆の中に、お賽銭?小銭も。
入口に龍神さまの手水。
元旦に起きた、能登地震の冥福もお祈り。国土安穏。国家安全。お祈り。
はじまり前。
点火
般若心経など。
🐚法螺貝などの儀式🐚
参加の人もお願いの護摩木投入出来ました。
御護摩、炎、佛さまお祈りいたします。
火渡り。
庫裏の入口。
柴灯護摩儀式
火でお浄め
山門
節分法要参加。此処も基本“不動護摩”だけど。
コロナウイルス対策で縮小されて行った密教で修験道の行事。
小さいけれどもパワーあるお寺さま。
京都の醍醐寺が総本山。
此処の御住職も次期御住職も京都で修行されている。
玉川上水建設の時、移転されて小さなお寺になってしまったそう。
此処も羽村の堰の建設に貢献されたお寺だった。
“奥多摩八十八箇所”創った武田翁さまは、
そういう社会的貢献度あるお寺撰ばれたもよう。
“奥多摩八十八箇所”の霊場は、全てお護摩炊くお寺になっている。
または、かつてお護摩していたお寺に
“奥多摩八十八”の石仏さまは祀られていらっしゃる。
うちゴマのみ。
まん延防止でない本来の時は、外の護摩やり、ひわたり。それはやらない。
本来はお昼のお弁当もあるそうだけど、なおらえみたいなのは、ない。
神道で神社で〜、
6月の時にやる“ひとがた”に息を吹き掛けるという?似たやることがあり、
竹筒に息を掛けた御札を半分折って、
容れて藁ひもで縛り境内地蔵に納めて行くというお浄め。
神道と道教と陰陽師と仏教あわせたような厄除けの行事。
まるで、福生、羽村市が、シルクロード終着点に想えた。
(哲学堂のある中野区がシルクロード終着点と想えたが違ってた)
江戸時代飢饉でも同じ事やり治まった。明治以後スペイン風邪でも、
これやって治まった。
こんど(コロナウイルス)も、なんとしても治めたい。
この百年単位の飢饉に護摩参拝。
人生に意味がないと言うが、人生に意味感じてしまう。
疫病退散札には不動明王の種子 カン字
護摩壇山見ていて、まにほうじゅみたいな?炎と想われたが
年賀状で着ていた、写真の神様に見えた。
奥多摩八十八箇所専用御朱印
護摩修法参加の御札、これをあとで受付で交換
護摩法要あとに戴く御札に口注ぎ〜、息三回吹きかけ竹筒入れて縛ってお地蔵さんへ奉納。
此処は東京都の無形文化財。
護摩祈祷終わったら戴いた斗と節分の豆。
この中に家に一年安置する御札ある。
江戸時代の此処の歴代の御住職があみだした方法だと歴史が書いてある。
このお墓が江戸時代、此処の御住職で、竹筒の方法を考えた人のお墓。
前もって、年賀状貰っていた。蚕の神さまに呼ばれました。
お護摩される本堂・内陣さま
前以って戴いていた、“節分のお護摩”招待状その1
前以って戴いていた、“節分のお護摩”招待状その2
節分のお護摩開催のおおっきい立て札が山門にあった。
奥多摩八十八ヶ所巡礼の霊場の石仏さんのお寺さんや民家を
ひと通り廻って来て、此処のご住職さまに報告させて戴いた。
江戸時代から続く、お寺で、由緒正しいお寺。
東京では珍しい京都が総本山で、今の住職さまも
京都で修行されて護摩焚けるお坊さま。
たぶん江戸時代は多摩地域は修験者のお寺や、山城だったお寺も多いので
ほとんどのお寺で護摩焚いていたが、後継者不足から護摩焚かなくなった。
近所の集いの場所にも成っていて、此処の信者の人も多い。
奥多摩八十八ヶ所の石仏をお寺に納た人も、その此処の信者の知人。
昭和五十年台くらいの時に、今の前の住職さまの時に石仏を納めにきた。
それから奥多摩八十八ヶ所巡礼の札所に成っていると
此処のお坊さまは話してくれました。
先日も此処に奥多摩八十八ヶ所巡礼のお遍路さん来ましたよと
語ってくださる、優しいご住職です。
御朱印は専用御朱印帳に押印しますが、場合によってはコピーでも可能。
場合によっては手書きも可能。300円から。
2月、3月、4月、けっこう毎月お祭りやってて、
五千円だと想えたが、御札申込んだら、祈願出来る。
沢山集まる様な高幡不動さんもいいけど、
小規模多機能みたいなお寺で護摩祈願や法要出来るっていい。
という事をこのお寺さんのエキテンの口コミに書いたけれども、
奥多摩八十八ヶ所巡礼札所事務局みたいな所がインターネット上にある。
(今まで参拝した人が輪番みたいに持ち回りに管理されている?!)
此処に問い合わせすると、
もともと86札所の石仏さんは、瑞穂町の開山所にあったと教えてくれた。
平成の半ばに弥兵衛氏が他界し、奥さまF子さんは、
その後僧侶の資格を取り、弥兵衛氏の意志を継ぎ、
札所のメンテを続ける中で、86番の安置を今の永昌院にお願いされたらしい。
(それが、今の住職さま学生時代で先代の住職の頃)
こんなに移転移転の札所も珍しい?珍しくないのかな?
奥多摩八十八ヶ所の開創の武田弥兵衛氏は、昭和の始め、
霊場開創にむけて有志の人たちと共に石仏安置をお願いするため、
寺院や在家を訪ねて奔走したらしい。
しかし、昭和9年の開創までに全部の石仏をどこかに安置するには至らず、
安置出来なかった幾つかの石仏は、開山所内に置かれていたということは
孫の代になっても未完成の霊場なのかも知れない。
これから廻る人も、奥多摩八十八ヶ所巡礼札所の開創に
関わる事になる様な霊場なのかも知れない。
手水舎の龍神さま!
手書き御朱印。
歴史
創建の年代などは明らかではないが、真言宗醍醐寺三宝院派の修験寺で、文久3年(1863年)に桑林寺(茨城県)から蚕の神の蚕影山を勧請し、蚕影山永昌院として養蚕業に携わる多数の信者がいたと言われるそうな。
境内は広くはないが、
龍が巻き付いた塔や大釜、馬やたぬきの像、地蔵などがあり、愉しい。
名称 | 葦桁山 永昌院 |
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参拝にかかる時間 | 30分 |
参拝料 | 奥多摩八十八箇所巡りの御朱院 300円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ホームページ | http://eisyouin.webcrow.jp/index.html |
詳細情報
山号 | 葦桁山 |
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院号 | 永昌院 |
宗旨・宗派 | 真言宗・醍醐寺派 |
文化財 | 寺では嘉元2年(1304年)の銘がある板碑を保存しており、
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ご由緒 | 創建の年代などは明らかではないが、真言宗醍醐寺三宝院派の修験寺で、文久3年(1863年)に桑林寺(茨城県)から蚕の神の蚕影山を勧請し、蚕影山永昌院として養蚕業に携わる多数の信者がいたと言われるそうな。
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体験 | 祈祷お祓い御朱印札所・七福神巡り |
感染症対策内容 | 東京都の福生市の無名なお寺のため、知る人ぞ知るお寺なので、
近所の人が出入りするお寺なので、参拝密集密閉を避けて欲しい。
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