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26.05.23。先の女塚神社から徒歩約10分。東京都大田区西蒲田7丁目の商業施設やオフィスビルがある地域の一角に鎮座。
御祭神
・猿田彦命(さるたひこのみこと)
・天宇受売命(あめのうずめのみこと)
創建年 不詳
例大祭 7月第3土曜日・日曜日
【由緒】〜蒲田八幡神社HPより〜
その昔多摩川の洪水によって流れ着いた猿田彦命を祀って、村民の信仰厚き崇敬神社であったと言います。その境内がしゃもじの形に似ていることから「しゃもじ様」と呼ばれていました。
明治20年までは御園村・女塚村の総鎮守として八幡社が現在の蒲田駅東口の付近に鎮座していましたが、東海道線敷設のため境内地を収容され風致が損なわれたので、女塚村と御園村はそれぞれ鎮守を移転することになりました。
昭和20年、蒲田一帯は戦災によって焼け野原になりましたが、戦後いちはやく復興しました。昭和35年には、現社殿と社務所が竣工しました。
蒲田八幡神社の兼務社巡り②
蒲田駅西口から徒歩5分位の比較的に繁華な地にありますが、神社の常で一歩境内に入ると静かさのある落ち着けるお宮さんです。


今日は蒲田方面へ。JR蒲田駅西口から御園神社様へ。蒲田というと歓楽街のイメージがありますがその歓楽街を抜けたところに御園神社様は鎮座されておりました。猿田彦命と天宇受売命のニ神を御祭神としてお祀りしています。創建については不詳ですが、その昔多摩川の大洪水によってこの地に流れ着いた猿田彦命をお祀りしたと言われています。また、境内がしゃもじの形に似ていたことから村人たちは「おしゃもじ様」と呼んでいました。明治20年頃までは御園村、女塚村の総鎮守として現在の蒲田駅東口の辺りに鎮座していました。しかし、東海道線敷設工事に伴い、御園村と女塚村ではそれぞれ鎮守を移転することになりました。明治21年に境内を広め、現在のような形になったと言われています。昭和20年の東京大空襲による戦災に遭いますが、昭和35年には現在の社殿が竣工しました。(蒲田八幡神社HPより)
多摩川の大洪水や東京大空襲などの大きな災害に遭いながらも蒲田という街を御園神社様は見守ってこられたように感じました。

蒲田八幡宮兼務社巡り① 碑文谷八幡宮から環八を南下し、本日は鎌田八幡神社の兼務社巡りをすることにしました。蒲田駅から徒歩で回れる距離ですが、車で廻ると一方通行や、駐車場で面倒になります。古くは石居神(じゃごじ)社と称し、おしゃもじ様と通称されていた。社伝によれば、多摩川の洪水で流れ着いた猿田彦命の御神体を祀ったことに始まります。今でこそ穏やかな多摩川ですが、昭和四十九年(1974)にも狛江付近で氾濫し、当時の状況はドラマ(岸辺のアルバム)になったものでした。旧御園村と旧女塚村の鎮守社であった女塚神社(旧八幡神社)が鉄道敷設のため移設となり、女塚村には次に参拝する小楠塚神社に遷座し、旧御園村には石居神社境内を拡張整備し、現在の社名。御園神社となり、旧御園村の鎮守社に分かれたものです。御祭神は天宇受売命・猿田彦命を祀っているので元の八幡神社とは異なることになります。
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