たかおかせきのじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
高岡関野神社について
映画のロケ地としてよく使われています。
代表的なのは アオハライド、ナラタージュ
など
おすすめの投稿
【越中國 式内社巡り】(過去の参拝記録)
高岡関野神社(たかおか・せきの~)は、富山県高岡市末広町にある神社。式内社で、旧社格は県社。本殿は3棟あり、祭神は国常立尊、保食神、天照皇大神、三毛入命(以上、神明社)、伊弉冉尊、事解男命、速水之命、素戔嗚命(相殿)、軻遇突智(相殿) (以上、熊野社)、稲荷大神、菅原道真公、前田利長公(以上、稲荷社)。別名は「高の宮」。例祭の「高岡御車山祭」の御車山行事は国指定の重要無形民俗文化財。
創建は不詳。江戸時代後期までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野神社)、高岡神社(稲荷社)の3社は別々の場所にあったが、1806年に現在位の同一境内に祀られるようになり、合わせて「関野三社」と呼ばれた明治に入り、加久彌神社は関野神社に合祀され郷社に列し、高岡神社は県社となったが、1919年に関野神社に高岡神社を合祀し、現在の「高岡関野神社」となった。なお、加久彌神社は、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越中國 射水郡 加久弥神社 二座 小」の論社となっている。(もう一つの論社は、「加久弥神社」(富山県氷見市神代))。
当社は、JR氷見線・城端線・あいの風とやま鉄道・高岡駅の北西400mの平地の市街地にある。大都市・高岡市のメイン駅・高岡駅近くにもかかわらず境内は広く、周囲と隔絶した神聖な空気感がある。当社の特徴としては、過去の神社集約・合祀の歴史から、別々の本殿が3つある。また、大きな拝殿の後ろに幣殿があるが、幣殿のすぐ後ろには本殿はなく、距離を開けたところに3つの鳥居と3つの本殿があるという造りになっている。
今回は、越中國の式内社、福井県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、我々以外には参拝者は見掛けなかった。
境内北西端入口の<一の鳥居>と<社号標>。
一之鳥居の手前右側にある<神馬>。
参道進むと<二の鳥居>。
やがて石製の玉垣で囲われた部分に入る。
玉垣入口の左手にある、もう一つの入口の鳥居。むむ、なぜ色が朱色?
赤い鳥居をくぐって左側にある<狛狐>。むむ、なぜ狛狐?稲荷神社があるのかな?
→3棟ある本殿の1つが稲荷社。
赤い鳥居をくぐって右側にある<狛狐>。
元の参道に戻って、石製瑞垣の中に入り、参道右側にある<撫で牛>。むむ、天満宮もあるのかな?
→3棟ある本殿の1つ、稲荷社には菅原道真公が合祀されている。
参道左側の授与所。御朱印はこちら。
参道左側の<手水舎>。
参道右側の<絵馬堂>。
<拝殿>全景。なかなか大きく堂々とした構え。
参道左側の<狛犬>。青銅製の豪華なもの。
参道右側の<狛犬>。そういえば、当社は青銅製の奉納物が多い。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。左右2種類の扁額が掛かっている。
珍しいことに、拝殿内部、左前方に<随神像>
右前方にも<随神像>。
拝殿後方の<幣殿>。あれ、拝殿で切れていて本殿がない?
幣殿の、はるか後方に建つ3棟の<本殿>。幣殿の脇からしか見えない珍しい造り。
左から順に、<加久彌神社本殿>、<関野神社本殿>、<高岡神社(稲荷社)本殿>。
瑞垣の外、社殿右脇にある<鳥居>と「」大國社と刻まれた<社号標>。
鳥居をくぐって進み、突き当りにある<大黒社>。
大黒社の右隣に建つ<神輿殿>(に見える)。ただし、Google Mapでは<弥真進社>と記載されている。
神輿殿の右側にある境内社。表札はないが、Google Mapによると<松尾社>らしい。(^▽^)/
文化3年(1806)に関野神社(熊野神社)・高岡神社(稲荷神社)・加久彌神社(神明神社)が現在地に遷座され、大正8年にこの三社が合祀されて高岡関野神社と改称され県社列格となりました。
それぞれの社史は
関野神社は、村上天皇天暦2年(948)射水郡水戸田密蔵寺より分霊・勧請され、射水郡岡野郷(下関町)に遷座しました。慶長14年(1609)、前田利長公による高岡城築城に際し、上関へ遷座され、さらに、文化3年(1806)に現在地に遷座されたといいます。
高岡神社は、元は稲荷神社と称しており、築城の際、城内に稲荷大神を勧請したもので、慶長19年、利長公薨去の後、利長公を合祀し、関野神社境内に遷座しました。明治になり高岡神社と改称し県社となりました。
加久彌神社は式内社・加久彌神社の論社と比定されているようですが、その由緒は不明瞭なようです。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0