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てつぎじんじゃ

手接神社
茨城県 高浜駅

授与処(御朱印対応時間)
第1・4日曜日 9:00~15:00

御朱印について御朱印
あり

奉られているカッパと近くの航空自衛隊百里基地に配備されているF2戦闘機が印刷された書置き御朱印です…

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

神社横の公民館駐車場と併用

手接神社について

授与品のなかに「きりすね」という糸(紐)があります。
これは、体の痛い箇所に巻き付けておき、自然と切れるときに治るとされる病気平癒のお守りです。
ミサンガみたいなものと考えるとわかりやすいと思います。
授与所は第1・4日曜日のみ9:00~15:00に対応しています。

歴史

むかしむかし、この地は芹沢隠岐守俊幹(せりざわおきのかみとしもと)という殿様が治めていました。

ある日、俊幹が愛馬を梶無川(かじなしがわ)の岸を散歩していると、突然馬が足を踏ん張って進みません。おかしいと思って見ると、つる草のような髪を振り乱して馬の尻尾を引っ張る河童(かっぱ)がいました。俊幹はすぐに刀を抜くと、尻尾を掴む河童の手を一刀両断。そして尻尾を掴んだままの手を屋敷に持って帰りました。

その夜、俊幹の枕元に昼間の河童が現れ、涙ながらに訴えました。「私は梶無川に棲む七郎河童です。昼間は殿様の馬にいたずらをしてしまい、手を失いました。とても反省しています。ただ、心配なのは年老いた母の事です。このままでは泳ぐことも魚を獲ることもできません。どうか手をお返し頂けないでしょうか。手は接(てつぎ)などが出来ます。もしお返し頂けるなら毎日魚を届けます。ご先祖から伝わる薬の作り方も教えいたします。」俊幹は母を思う河童の心に免じて「もう悪いことはしないように」と言って、手を返してあげました。

河童は約束を守り、薬の秘宝ときりすねなどを俊幹に伝えました。そして、翌日から毎日2匹の魚が屋敷に届けられるようになりました。魚は屋敷の梅の木に掛けられたので、この木は魚掛梅(うおかけのうめ)と呼ばれました。

それから数年たったある日、いつも届けられるはずの魚がありませんでした。
翌日、河童を心配した俊幹が川に行くと、河童が泡を吹いて死んでいるではありませんか。哀れに思った俊幹が祈ると、河童の遺体は川上へと逆流していきました。

そして、遺体が川上の与沢に流れ着くと、それを見つけた芹沢家の家臣は俊幹に報告し、その場所に小さな祠(ほこら)を建てました。それが1,481年の事。祠は手接明神(てつぎみょうじん)と呼ばれ、人々に大切にされました。やがて祠は場所を移して手接神社となりました。1507年の事と言い伝えられています。

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手接神社の基本情報

住所

茨城県小美玉市与沢1112

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

手接神社

読み方

てつぎじんじゃ

通称

手接様

参拝時間

授与処(御朱印対応時間)
第1・4日曜日 9:00~15:00

御朱印あり

奉られているカッパと近くの航空自衛隊百里基地に配備されているF2戦闘機が印刷された書置き御朱印です。
サイズは見開きサイズになります。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし
絵馬

あり

詳細情報

ご祭神《主》罔象女命,大己貴命,少彦名命
ご由緒

むかしむかし、この地は芹沢隠岐守俊幹(せりざわおきのかみとしもと)という殿様が治めていました。

ある日、俊幹が愛馬を梶無川(かじなしがわ)の岸を散歩していると、突然馬が足を踏ん張って進みません。おかしいと思って見ると、つる草のような髪を振り乱して馬の尻尾を引っ張る河童(かっぱ)がいました。俊幹はすぐに刀を抜くと、尻尾を掴む河童の手を一刀両断。そして尻尾を掴んだままの手を屋敷に持って帰りました。

その夜、俊幹の枕元に昼間の河童が現れ、涙ながらに訴えました。「私は梶無川に棲む七郎河童です。昼間は殿様の馬にいたずらをしてしまい、手を失いました。とても反省しています。ただ、心配なのは年老いた母の事です。このままでは泳ぐことも魚を獲ることもできません。どうか手をお返し頂けないでしょうか。手は接(てつぎ)などが出来ます。もしお返し頂けるなら毎日魚を届けます。ご先祖から伝わる薬の作り方も教えいたします。」俊幹は母を思う河童の心に免じて「もう悪いことはしないように」と言って、手を返してあげました。

河童は約束を守り、薬の秘宝ときりすねなどを俊幹に伝えました。そして、翌日から毎日2匹の魚が屋敷に届けられるようになりました。魚は屋敷の梅の木に掛けられたので、この木は魚掛梅(うおかけのうめ)と呼ばれました。

それから数年たったある日、いつも届けられるはずの魚がありませんでした。
翌日、河童を心配した俊幹が川に行くと、河童が泡を吹いて死んでいるではありませんか。哀れに思った俊幹が祈ると、河童の遺体は川上へと逆流していきました。

そして、遺体が川上の与沢に流れ着くと、それを見つけた芹沢家の家臣は俊幹に報告し、その場所に小さな祠(ほこら)を建てました。それが1,481年の事。祠は手接明神(てつぎみょうじん)と呼ばれ、人々に大切にされました。やがて祠は場所を移して手接神社となりました。1507年の事と言い伝えられています。

ご利益病気平癒
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