さんとじんじゃ
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楽しみ方三都神社のお参りの記録一覧
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車で少し走って三都神社様へ向かいました🚗=3
御祭神は
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
素盞鳴尊(スサノオノミコト)
をお祀りされています。
創建は7世紀と伝わっています。
三都神社様は江戸時代までは「熊野三所権現」と
呼ばれていました。
御祭神が熊野の「本宮 速玉 那智」の三大社と同じ
神様を勧請しお祀りされているのともあり
「熊野詣と同じ功徳が得られる」
「これは新しい熊野だ」と言われるようになり
「今熊野」と呼ばれました。これが現在の地名の
「今熊」の元になっています。
三都神社様は16世紀に応仁の乱の火種にもなった
室町幕府の管領家の畠山一族の家督争いに
巻き込まれ焼失されています。
この時にこの地にあった巨大寺院の「金蔵寺」も
焼失するのですが「金蔵寺」の僧であった諦観が
「金蔵寺」の再建の際に三都神社様を鎮守として
組み込み同時復興を成し遂げました。
残念ながら「金蔵寺」は明治の廃仏毀釈によって
廃止となり三都神社様だけが残りました。
三都神社様には三都戎というえべっさんが別宮で
お祀りされています。
このえべっさんは耳が遠いので鳴り板を木槌で叩き
大声でお詣りしなければ気付いてもらえないと
説明が掲示されていました(´▽`)
他のお社様では見たことない愉快な参拝方法で
おもいっきり板を叩いてお詣りさせて頂きました。

白鳥神社,日吉神社の参拝後に帰り道,三都⁉️の社名に惹かれ参拝!こちらも初めましてのご挨拶です。😊
名前の由来は河内、摂津、和泉の真ん中にあるから三都神社とも言われ、三都村の三都は、三つの都市かな?😅とか。が、大阪府全史によると、明治時代に今熊村、岩室村、茱萸木新田、西山新田、山本新田、大野新田の6つの村が合併するにあたり、その内の3つの村(今熊、茱萸木、西山の3村?)の住人が隣り合って暮らしている「三都(みつ?)」という字があったのでその字名を採用して『三都村』🤩✨🍀とした、とされています(今熊には他に、おわり坂を境に上今熊と下今熊の集落がありました)。かつて天野街道を通って紀州熊野に向かう人々が参詣したことから、『熊野神社』❗️とも呼ばれていました。この日は大きな神社⛩繋がりのご縁が!✨🥰
主祭神として
伊邪那岐命(イザナギ)
伊邪那美命(イザナミ)
素盞鳴尊(スサノオ)がお祀りされています。
こちらのえびすさまでは風変わりな参拝方法が。😆見よう見まねでご挨拶❣️
ステキな神社で感動しました。ご縁繋がりに感謝です。🙇♀️🐇🌅


ここは天野街道を通って紀州熊野に向かう人々が参詣したことから、熊野神社とも呼ばれています。その昔、神仏同体説があり、神様と菩薩様を同じ場所に祭っていた時代があります。三都神社(さんとじんじゃ)はその信仰により不思議な経緯を経ています。
伝承では7世紀の創建とされ、兵火にあって一度は焼失しますが、16世紀に諦観という僧によって金蔵寺内に再興されました。その後、明治時代の神仏分離ではこの神社が残り、金蔵寺が姿を消しました。
河内国丹南郡三都村に鎮座した神社で、別名熊野神社とも呼ばれていたという。
明治の神仏分離令まではこの地に金蔵寺という大寺院があって、この三都神社はその鎮守社であったとも謂われる。
ところで三都とは普通、京・大坂・江戸を指すが、この神社の三都は明らかに三都村からきている。しかし、この「三都」とは何だろうか。
摂津・河内・和泉の中心あたりに位置したからだろうか。
昔は熊野詣での街道筋で、大いに賑わった神社であっただろうと想像できる。
清々しい雰囲気の神社である。
社殿
境内社:春日社、発辰大神、熊野三宝荒神、
稲荷大神、毘沙門天堂、吉祥水天宮、祖霊社
三都戎神社では、エビスさんを呼ぶための
「板とトンカチ」が用意されている。
江戸時代までは熊野三所権現とよばれ、熊野の神を勧請してできた神社である。
背後には陶器山をひかえ、境内の北方から西方の尾根筋には街道が通る。
明治時代の神仏分離までは境内に金蔵寺があったといわれ、また近くにも光明寺跡、西室院跡、地蔵院跡などの地名が残っていることから、現在の社殿付近から南部丘陵にかけての広い地域に伽藍と鎮守の社地があったと考えられている。
昭和58年の郷土資料館による文化財調査の際に見つかった昆沙門天像は鎌倉時代末期の作であることが判明し、このことからも金蔵寺繁栄の歴史を知ることができる。

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