かいこういん|天台宗|法寫山
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
その他の巡礼の情報
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先に投稿した善楽寺の境内塔頭です。
寺伝によると 大化年中(645から650年)法道仙人によって創建され 明石で一番古い寺と伝えられています。
ご本尊は阿弥陀如来です。
光源氏ゆかりの地で 「明石入道・浜の館」があったとされ 明石入道の碑「光源氏古跡明石浦の浜の松」の石碑があります。
本堂の手前には魚藍観世音菩薩があり 観音様の足元の魚にだけ水をかけて供養します。
さすが明石 魚供養をしているのでした。
本堂
魚藍観世音菩薩
戒光院 善楽寺塔頭
~ 播磨守 平清盛五輪塔 ~
山号 法冩山
院号 戒光院
宗派 天台宗
御本尊 阿弥陀如来
開基 法道仙人
(飛鳥時代 大化年中 645~650)
縁起
善楽寺(戒光院)は孝徳天皇の大化年中(645―650)に天竺の高僧法道仙人が開創した。
天台宗の大寺院で、明石では最も古い寺である。
平清盛ゆかりの地でもあり、源氏物語の舞台にもなるほど知られたところであった。
寺伝によると、平安時代中期の天喜元年(1053)一〇月二六日に住職だった源泉座主が延暦寺第三十一世座主になられている。短期間の座主ではあったが、当時の勢力を物語る出来事であった。しかし、元永二年(1119)には火災で堂塔を焼失した。
それから三〇余年ののちの保元元年(1156)播磨守に任じられた平清盛はこの地を重視し、善楽寺の全ての堂塔伽藍を再興、念持仏であった木造の地蔵尊と寺領五〇〇石を寄進した。
この付近は当津と呼ばれる庄村で、海路の要衝であったためといわれる。それ以来、この中心寺院として栄え、平安時代末期に十七ヵ院を持ち、寺域も北は樽屋町、東は五分一町(日富美町)にわたる約一㌔平方という広大なものだった。
このころ当寺には、清盛の弟教盛の子忠快法印が寺僧としており、源平合戦の最中である養和元年(1181)に亡くなった清盛の供養のため、巨大な五輪塔を建てた。戦国時代の天文八年(1539)には再び戦乱のなかで本堂などを焼失、文禄二年(1593)に再建している。
江戸時代には明石藩主から黒印を与えられ、数々の寄進を受けた。五代藩主松平忠国公は、源氏物語の世界をここにみて、明石入道の碑を建てた。淡路島を前に美しい寺であったのだろう。
境内の美しい松にも「光源氏明石之浦之松」の名がつけられた。
このため、全国から文人墨客が訪れ、多くの書画を残したという。
昭和二〇年七月七日、戦火によって三たびすべてを焼いた。本堂、仏像、寺宝など灰燼に帰した。同五三年一二月、昭和の再建がはじまり、まず十王門が復活、同六三年三月三〇日、四度目の復興を成し遂げた。現在も明石有数の寺院として訪れる人は絶えない。
戒光院の御本尊は、京都の大仏師・松下宗琳作。
京都大原・三千院の阿弥陀三尊をモデルに、新御本堂に安置されています。
平相國清盛之菩提塔
明石入道の碑
光源氏明石之浦之松
また、円珠院には、宮本武蔵が作庭したと言われる枯山水の一部があります。
圓珠院・戒光院・実相院で『善楽寺』となりますが、善楽寺はありません。
(円珠院の御朱印はありません。)
🌸🐦🌸🐦🌸🐦🌸
お忙しい中御朱印をお書き入れ下さいました御住職は、関西花の寺25ケ寺 第八番『應聖寺』
御住職のご弟様です。
明石市大観町11-8
問合せ先 戒光院
TEL 078-917-5070
平清盛五輪塔
光源氏 明石之浦之松
ぎょぎょっ🐟
明石入道碑
🌸昨年3月に拝受できた戒光院御朱印
名称 | 戒光院 |
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読み方 | かいこういん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-917-5070 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 法寫山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 大化年間(645〜650) |
開山・開基 | 法道仙人 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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