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佐志能神社(さしの~)(染谷)は、茨城県石岡市染谷にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。主祭神は豊城入彦命、配祀神は闇龗神、国常立尊ほか8柱。佐志能神社(染谷)とともに龍神山に鎮座し、ともに闇龗神を祀ることから二社一対の関係とされる。かつては「龍神社」「龍神宮」と呼ばれた。
当社は、江戸時代末期の1862年に火災で社殿と古記を焼失したため、創建年代および近世に至るまでの沿革は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「常陸國 新治郡 佐志能神社 小」と記載があり、当社はその論社とされている。他の論社としては、石岡市村上、石岡市柿岡、笠間市笠間の3つの佐志能神社がある。なお、新治郡の所在を優先すると笠間市笠間の佐志能神社が有力ということになるが、石岡市のある茨城郡は新治郡に隣接していること、石岡市はかつての国府、総社の所在地であることなどから他の3社も否定できないとされてきた。
当社は、JR常磐線・石岡駅の北西5kmの龍神山(南峰)の東麓斜面にある。<常総風土記の丘>の北方1kmぐらいの位置で、アップダウンのある緑豊かな場所。入口付近は砕石会社の敷地のようで、整った林道が伸びている。入口の鳥居を入るとアスファルトの急坂が途中まで続き、途中からは急な石段になる。石段上のわずかな平地に巨大な岩石(磐座)があって、これにへばりつくように社殿が建っている。
今回は大失敗を犯し、アスファルトの急坂が見えたので、ある程度のところまでバイクで行こうと侵入したが、参道が枯葉まみれの上、バイクを停められる平地がなく、バイク転倒リスクを最大化させた後、時間を掛けてバックで後ずさりをする羽目になった。所要時間は30分(たぶん)。寺社仏閣参拝で手抜きをしてはいけないことを再認識することとなった。
今回は、常陸国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には人っ子一人見かけなかった。
※御朱印は、同じ石岡市内の常陸國總社宮で拝受できる。
境内南側入口の<一の鳥居>。社号標はないが、石岡市の神社紹介看板がある。
大きくてなかなか立派な<石製鳥居>。(道がアスファルトなので、バイクでも行けると判断。そのまま進んでみる...)
坂を少し上がると参道左側にある<手水舎>。手拭いが掛かっているということは、普段から手入れの人が入っているということかな?
けっこう急な上り坂。枯葉が多いとバイクの転倒リスクが上がるので避けたいところだが...
50mか、100mか、急坂を駆け上ったところでこの景色。<二の鳥居>は見えるが、手前は全面枯葉で、平坦で駐車できる場所はない。それどころか、Uターン(転回)できる場所もない...(;゚Д゚)ヤバイ
こんな場所でバイクが転倒したら、誰も助けてくれないので、そのまま来た道をバックで退却。涼しい11月に脂汗やら冷や汗やら、全身汗だくに。
バイクを入口に停め直して、<一の鳥居>から参拝をやり直し...
こちらが<二の鳥居>。
二の鳥居の先の階段は、非常に急で、せめてもの救いが真っ赤な手摺り。
心臓をバクバクさせながら登って行くと、やがて社殿らしきものが見えてくる。
階段を登り切ったところにある<手水盤>。
こちら、社殿の西側面だと思われるが、階段や賽銭小窓もあるのでここから参拝。
当社、社殿が建物1棟だけなのかと思い、社殿の後ろ(北側)上方を見上げると巨大な岩石。これが<磐座>ということかな?
社殿の南側から下方を見下ろした様子。写真だと急には見えないが、実際にはめっちゃ急。
社殿の近くには石碑が二つあり、その一つには<*殿寄*>と書いてある。たぶん社殿の奉納者リスト。最高額が<拾貮圓>と書いてあるので明治時代のもの。
二つ目の石碑には<戦利兵器奉納ノ記>と書いてある。こちらも明治時代のもの。もっと古いものを期待したので肩透かし...(^_^;)
西側から見た<社殿>全景。
社殿そばにあった、かわいらしい燈籠。
帰途に就くため、階段上から眼下を見下ろす。昔の氏子さん達は、この場所に毎日参拝したと思うが、かなりきつかっただろうに...
それにしても、この<枯葉の海>は、一生忘れることはなさそう...(^_^;)
名称 | 佐志能神社 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》豊城入彦命,高神 |
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Wikipediaからの引用
概要 | 佐志能神社(さしのじんじゃ)は、茨城県石岡市染谷にある神社。竜神山に鎮座することから、江戸時代は龍神社(龍神宮)と呼ばれていた。現在は「竜神さん」 と親しまれているほか、染谷佐志能神社と呼ぶことがある。『日本三代実録』の「村上神」及び「延喜式神名帳」の「佐志能神社」の論社である。旧社格は郷社。 茨城県内には式内佐志能神社の論社が4社あり、いずれも佐志能神社を称している。このうち、石岡市染谷と同市村上の佐志能神社は、ともに竜神山に鎮座する神社として関係が深く、「村上神」及び「龍神社」としては歴史が重なる部分もある。 |
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歴史 | 由緒[編集] 染谷社は、江戸末期の文久2年9月(1862年)に火難に遭い、社殿及び古記が焼失した[1][2]。村上社もまた、度々火難に遭ってきた[3]。このため創建年代及び近世に至るまでの沿革は不詳となっている。 竜神山信仰[編集] 竜神山は、八郷盆地の東、恋瀬川左岸にある標高196メートル(三角点は北峰にある。採石以前は210メートルだった[4])の山で、染谷、村上、根小屋、下林に跨っている。別名を「村上山」や「雄竜山」という[5]。 大日本地名辞書に(群郷考云)「山上に二大石ありて、龍門、君門と名つく、其下洞穴深さ測るべからず、龍神山の名ある由なるべし」とある。「龍門」と「君門」...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭礼[編集] 例祭日は両社ともに4月19日である。 染谷社では里神楽「染谷十二座神楽」(石岡市指定有形民俗文化財)が奉納される。文献資料が残っていないため起源は不詳だが、江戸時代に石岡市根小屋の七大天神社の十二座神楽が伝播して成立したものという考察がある[1]。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「kagura」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません |
引用元情報 | 「佐志能神社 (石岡市染谷)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%90%E5%BF%97%E8%83%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%9F%B3%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%9F%93%E8%B0%B7%29&oldid=89475318 |
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