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楽しみ方光善寺大日堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月01日(金) 22時21分43秒
参拝:2026年4月吉日
中野の市街地を抜け、南の光善寺という地区に移動しました。
ここは字名になっているとおり、昔は光善寺という禅院があったそうなのですが、江戸時代初期の延宝年間(1673年~1681年)に廃寺になってしまい、この大日堂がその名残りとのこと。
縁起や廃寺理由を調べようとしたのですが、ほとんど情報が見つからず、わかったのは創建年くらい💫
ただこの創建年が万治三年(1660年)となってまして、奇妙なことに創建からわずか10~20年程度で寺が潰れてしまったらしい💧
どういうことなの?😥と思ったのですが、それ以上は資料も出てこず行き詰まってしまいました😫
・・・ところが意外な所から突破口が💡
邑楽町でも比較的ホトカミに投稿が多い篠塚の大信寺について調べてみたところ、なんと奈良時代に日光開山の勝道上人が当地に「光善精舎」という庵を開いていたという情報が出てきた‼️ さらに調べを進めると弘法大師まで絡んでくる始末⁉️
・・・まぁそんなこんなで、大信寺発の情報をもとに自分なりに推測した光善寺の由緒を登録しておきました✏️w
光善精舎が建ってたという位置とこの大日堂がやや離れてるのと、光善寺開山~廃寺の時期と大信寺の中興開山の時期が20~50年くらい離れてるのがちょっとネックなんですが💧
それ以前の問題で、光善精舎とは全く無関係な光善寺というお寺が別にあったという可能性も無きにしもあらず・・・😅w
まぁ他に情報もないしこれでご勘弁くださいませ😂
より正確な情報をご存じの方がいましたら加筆・修正等お願いします🙏
ここは字名になっているとおり、昔は光善寺という禅院があったそうなのですが、江戸時代初期の延宝年間(1673年~1681年)に廃寺になってしまい、この大日堂がその名残りとのこと。
縁起や廃寺理由を調べようとしたのですが、ほとんど情報が見つからず、わかったのは創建年くらい💫
ただこの創建年が万治三年(1660年)となってまして、奇妙なことに創建からわずか10~20年程度で寺が潰れてしまったらしい💧
どういうことなの?😥と思ったのですが、それ以上は資料も出てこず行き詰まってしまいました😫
・・・ところが意外な所から突破口が💡
邑楽町でも比較的ホトカミに投稿が多い篠塚の大信寺について調べてみたところ、なんと奈良時代に日光開山の勝道上人が当地に「光善精舎」という庵を開いていたという情報が出てきた‼️ さらに調べを進めると弘法大師まで絡んでくる始末⁉️
・・・まぁそんなこんなで、大信寺発の情報をもとに自分なりに推測した光善寺の由緒を登録しておきました✏️w
光善精舎が建ってたという位置とこの大日堂がやや離れてるのと、光善寺開山~廃寺の時期と大信寺の中興開山の時期が20~50年くらい離れてるのがちょっとネックなんですが💧
それ以前の問題で、光善精舎とは全く無関係な光善寺というお寺が別にあったという可能性も無きにしもあらず・・・😅w
まぁ他に情報もないしこれでご勘弁くださいませ😂
より正確な情報をご存じの方がいましたら加筆・修正等お願いします🙏

大日堂から北に100mくらいの所にある光善寺墓地
大日堂の他に光善寺の痕跡が残ってるのはこれくらい
大日堂の他に光善寺の痕跡が残ってるのはこれくらい

光善寺大日堂
かろうじて仏堂らしさは残ってる😅
かろうじて仏堂らしさは残ってる😅

横はブランコのみの小公園

たまにはお線香あげにくる人もいるみたい

御堂の南側に石仏群

宝篋院塔の基台に刻まれた文字
上毛邑楽郡 館林領 光善寺 郵中為二世 安楽也
上毛邑楽郡 館林領 光善寺 郵中為二世 安楽也

月待ちの如意輪観音
ここは二十二夜様ですね
ここは二十二夜様ですね

これはちょっと珍しい😳
上にとぐろを巻いた蛇が彫られた巳待供養碑🐍
上にとぐろを巻いた蛇が彫られた巳待供養碑🐍
すてき
投稿者のプロフィール

くし1740投稿
信仰とは神仏への推し活と見つけたり 御朱印はサイン、御守り・御札はファングッズ、祈祷は握手会、祭りはファン感謝イベントだ!(違) ・・・寺社、歴史、民俗、ヲタカルチャー好きの好事家です。 好きな...もっと読む
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