しじょうなわてじんじゃ
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楽しみ方四條畷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月27日(金) 17時22分06秒
参拝:2026年3月吉日
昨年の年末に湊川神社様へのお詣りの時から
四條畷神社様へはお伺いしたかったのですが
ようやくお詣りすることがかないました。
御祭神は
楠木 正行(クスノキマサツラ)
をお祀りされています。
先に投稿した住吉平田神社様の神職の三牧文吾や
地域の住民が熱心に正行をお祀りする神社の創建を
明治政府に働きかけた結果 1890年に明治天皇が
許可されました。
三牧氏は後醍醐天皇の牧師(マキシ)を務めた
平田氏の末裔で南朝に対する思い入れの深さが
分かります。
湊川神社様の鎮座地はかつて「湊川の戦い」のあった
場所でした。
四條畷神社様は「四條畷の戦い」かつてあった
場所です。
正行が11歳の時に父の正成の戦死の報らせを
受けます。絶望した正行は自害しようとしますが
母の久子から
「父の遺志を継ぎ敵を討つことこそが最大の供養」
と諭され本拠地の大阪南東部にて雌伏します。
力を蓄えた正行が22歳になった時に室町幕府に
対して挙兵します。
紀州へ兵を向けた正行に対して幕府は主力の1人
山名時氏を向かわせます。正行は数で勝る幕府軍を
伏兵を忍ばせた狭路に誘い込み一蹴します。
続いて出陣した細川顕氏が率いる幕府軍は
淀川の支流に掛かる渡辺橋に誘い込み陣形が
伸びた上に橋の上で身動きが取れなくなった
所を急襲します。
この際に多数の幕府軍の鎧武者が川へ落ちましたが
正行は彼等を救い薬や衣服の替えをあてがい
更には武者達が持っていた武器まで返し自軍への
帰参を促します。帰参した武者達が口々に正行を
誉め称えたので幕府軍の士気は地に落ち撤退を
余儀なくされます。
そして「楠木ヤベー」となった幕府が送り込んだのが
最強の執事 高師直です。
師直は公称6万(実数2万前後)の大軍を持って
京から南下します。それに対して正行は3千の兵を
当時は湿地であった大東から四條畷の飯盛山の麓に
布陣します。得意の伏兵を使うつもりだったのかも
知れません。
しかし師直は一部の兵を飯盛山に上げます。
これでは動向が丸見えで伏兵は使えません。
この戦いに挑む前に正行は吉野の如意輪寺様の
門扉に辞世を刻み一族の過去帳を奉納して
出陣しています。
決死を覚悟していた正行は正面突破をし師直の
首を挙げることに狙いを定めます。立ち塞がる
佐々木道誉などを蹴散らし師直の本陣へと
迫りましたした。
そして師直とおぼしき武将を討ち取った…のですが
それは師直の側近の武将でした。
衆寡敵せず…新手を展開させる師直に成す術を
失い全身に幾多の矢を受けた正行は弟の正時と
刺し違え自刃しました。
余りにも清冽で真っ直ぐな人柄…
吉野の如意輪寺様で知った弁の内侍との悲恋…
四條畷神社様でお詣りしている時もグッと
来るものがあったのですが書き込んでいると
改めて胸が締め付けられる思いでした(-ω-。)
四條畷神社様へはお伺いしたかったのですが
ようやくお詣りすることがかないました。
御祭神は
楠木 正行(クスノキマサツラ)
をお祀りされています。
先に投稿した住吉平田神社様の神職の三牧文吾や
地域の住民が熱心に正行をお祀りする神社の創建を
明治政府に働きかけた結果 1890年に明治天皇が
許可されました。
三牧氏は後醍醐天皇の牧師(マキシ)を務めた
平田氏の末裔で南朝に対する思い入れの深さが
分かります。
湊川神社様の鎮座地はかつて「湊川の戦い」のあった
場所でした。
四條畷神社様は「四條畷の戦い」かつてあった
場所です。
正行が11歳の時に父の正成の戦死の報らせを
受けます。絶望した正行は自害しようとしますが
母の久子から
「父の遺志を継ぎ敵を討つことこそが最大の供養」
と諭され本拠地の大阪南東部にて雌伏します。
力を蓄えた正行が22歳になった時に室町幕府に
対して挙兵します。
紀州へ兵を向けた正行に対して幕府は主力の1人
山名時氏を向かわせます。正行は数で勝る幕府軍を
伏兵を忍ばせた狭路に誘い込み一蹴します。
続いて出陣した細川顕氏が率いる幕府軍は
淀川の支流に掛かる渡辺橋に誘い込み陣形が
伸びた上に橋の上で身動きが取れなくなった
所を急襲します。
この際に多数の幕府軍の鎧武者が川へ落ちましたが
正行は彼等を救い薬や衣服の替えをあてがい
更には武者達が持っていた武器まで返し自軍への
帰参を促します。帰参した武者達が口々に正行を
誉め称えたので幕府軍の士気は地に落ち撤退を
余儀なくされます。
そして「楠木ヤベー」となった幕府が送り込んだのが
最強の執事 高師直です。
師直は公称6万(実数2万前後)の大軍を持って
京から南下します。それに対して正行は3千の兵を
当時は湿地であった大東から四條畷の飯盛山の麓に
布陣します。得意の伏兵を使うつもりだったのかも
知れません。
しかし師直は一部の兵を飯盛山に上げます。
これでは動向が丸見えで伏兵は使えません。
この戦いに挑む前に正行は吉野の如意輪寺様の
門扉に辞世を刻み一族の過去帳を奉納して
出陣しています。
決死を覚悟していた正行は正面突破をし師直の
首を挙げることに狙いを定めます。立ち塞がる
佐々木道誉などを蹴散らし師直の本陣へと
迫りましたした。
そして師直とおぼしき武将を討ち取った…のですが
それは師直の側近の武将でした。
衆寡敵せず…新手を展開させる師直に成す術を
失い全身に幾多の矢を受けた正行は弟の正時と
刺し違え自刃しました。
余りにも清冽で真っ直ぐな人柄…
吉野の如意輪寺様で知った弁の内侍との悲恋…
四條畷神社様でお詣りしている時もグッと
来るものがあったのですが書き込んでいると
改めて胸が締め付けられる思いでした(-ω-。)
すてき
投稿者のプロフィール

れん太郎1644投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
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