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楽しみ方斎田寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月25日(木) 18時54分25秒
参拝:2025年8月吉日
徳島県鳴門市にあるお寺です。
住宅街の外れに位置し 境内横を通る道は宇佐八幡神社の参道になります。
境内横に駐車場があり 車でのお参りがしやすいです。
山門はありませんが 少し離れた場所に社号の石柱がありました。
宇佐八幡神社の石柱もこちらにあります。
境内は舗装されていて 車が停められていました。
こちらは寺院の方の駐車スペースのようです。
鐘楼が少し変わっています。柱は木のこげ茶色ですが 梁から上の部分は朱色に塗られています。
ツートンカラーの鐘楼は初めて見ました。
境内にはプレハブの建物があり そちらに境内案内図がかけられていました。
裏山の金光山にいくつかお堂があるようです。
名前を見ていて???となりました。
1番霊山寺と85番八栗寺聖天堂と88番大窪寺があるのです。
いやいや距離的に考えてもおかしいだろ はい別物でした。
本堂は私の大好きな色合いで 床板や柱や梁が歴史を感じさせてくれます。
彫刻も施されており 大切に守られてきていることが分かります。
本堂横には 境内社の護法善神社がありました。
庚申堂もありました。
観音様がおられ 足元を見ると ぼけ封じ三十三観音第12番札所 とありました。
はい しっかりぼけ封じをお願いしました。
寺務所にピンポンがなかったので 御朱印は諦めました。
ネット情報です。
山号は神応山 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は大日如来です。
寺伝によると 当寺の前身は木津中山の袴越山にあって 聖武天皇の勅願所で行基菩薩の開創といわれています。
下って 弘法大師四国遍歴の途中この山をごらんになり 山容が観音霊場フダラク山に似ているとして聖観音像を刻んで安置され 寺号を観音寺とされました。
その後 火災のために焼失してしまい 尊様を奉じて観音嶽に至リ この山頂におまつりすることになりました。
「源平盛衰記」によれば 寿永年間三位中将平維盛は屋島壇ノ浦の戦に敗れ熊野に落ちのびる途中 伊吹浦よリ観世音を拝し 平家再興の祈願書を捧げております。
江戸時代に入って 岡崎城主益田大膳はこの観世音に帰依すること厚く 中山では山地のため参詣に不便であるとして 自ら大檀那となって現在地に勧請し斎田十二ヶ村の総析願所とし 寺名を斎田寺と改称しました。
現在の観音堂は寛政元年(一七八九)再建されたもので この時勝浦中田の住人壁内益左衛門尉豊久は二十八歳にして籠彫(かごぼり)の技術をもって建物に見事な彫刻を施しています。
本堂に大日如来を安置し 享保年間に再建 現在の建物は安政・文久年間に建てられています。
さらに裏山金光山一帯にある新四国八十八ヶ所は 嘉永三年(一八五〇)市内立岩の恵助老人が発願周施して 同七年完成したものです。
住宅街の外れに位置し 境内横を通る道は宇佐八幡神社の参道になります。
境内横に駐車場があり 車でのお参りがしやすいです。
山門はありませんが 少し離れた場所に社号の石柱がありました。
宇佐八幡神社の石柱もこちらにあります。
境内は舗装されていて 車が停められていました。
こちらは寺院の方の駐車スペースのようです。
鐘楼が少し変わっています。柱は木のこげ茶色ですが 梁から上の部分は朱色に塗られています。
ツートンカラーの鐘楼は初めて見ました。
境内にはプレハブの建物があり そちらに境内案内図がかけられていました。
裏山の金光山にいくつかお堂があるようです。
名前を見ていて???となりました。
1番霊山寺と85番八栗寺聖天堂と88番大窪寺があるのです。
いやいや距離的に考えてもおかしいだろ はい別物でした。
本堂は私の大好きな色合いで 床板や柱や梁が歴史を感じさせてくれます。
彫刻も施されており 大切に守られてきていることが分かります。
本堂横には 境内社の護法善神社がありました。
庚申堂もありました。
観音様がおられ 足元を見ると ぼけ封じ三十三観音第12番札所 とありました。
はい しっかりぼけ封じをお願いしました。
寺務所にピンポンがなかったので 御朱印は諦めました。
ネット情報です。
山号は神応山 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は大日如来です。
寺伝によると 当寺の前身は木津中山の袴越山にあって 聖武天皇の勅願所で行基菩薩の開創といわれています。
下って 弘法大師四国遍歴の途中この山をごらんになり 山容が観音霊場フダラク山に似ているとして聖観音像を刻んで安置され 寺号を観音寺とされました。
その後 火災のために焼失してしまい 尊様を奉じて観音嶽に至リ この山頂におまつりすることになりました。
「源平盛衰記」によれば 寿永年間三位中将平維盛は屋島壇ノ浦の戦に敗れ熊野に落ちのびる途中 伊吹浦よリ観世音を拝し 平家再興の祈願書を捧げております。
江戸時代に入って 岡崎城主益田大膳はこの観世音に帰依すること厚く 中山では山地のため参詣に不便であるとして 自ら大檀那となって現在地に勧請し斎田十二ヶ村の総析願所とし 寺名を斎田寺と改称しました。
現在の観音堂は寛政元年(一七八九)再建されたもので この時勝浦中田の住人壁内益左衛門尉豊久は二十八歳にして籠彫(かごぼり)の技術をもって建物に見事な彫刻を施しています。
本堂に大日如来を安置し 享保年間に再建 現在の建物は安政・文久年間に建てられています。
さらに裏山金光山一帯にある新四国八十八ヶ所は 嘉永三年(一八五〇)市内立岩の恵助老人が発願周施して 同七年完成したものです。
すてき
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くるくるきよせん3193投稿
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