三重県には、いたるところに弘法大師の足跡があり、土地柄も信仰の盛んなところである。
江戸時代には県内にそれぞれ歩いて1週間くらいで巡拝のできる札所があった。北勢地方には北勢新四国、伊賀路には伊賀四国八十八ヵ所、津・松阪地区には南勢新四国、志摩方面には志摩新四国と、これらは盛んに巡拝されていたと伝えられる。
しかしながら明治の廃仏毀釈とともに、自然消滅の道をたどったものと思われる。その後、明治も半ばを過ぎたころより、世の中が落ち着き人心の信仰に対する灯にも火がつき、これらの再興を願う声がここかしこに起こり、北勢を例にとれば、明治40年(1907)「北勢四郡新四国八十八ヵ所」として復興、巡拝講などを設けて盛んに巡拝されたとある。福楽寺(筆者の寺) にもそのころの絵が額にして掲げられている。
子供心の記憶にも、特に毎月曜日には西から東から近郊の人々が行き来する姿が想い出としてある。見知らぬ者が世間話に花を咲かせるかと思えば、持参の弁当をひろげる人、またそれらの人にお茶や甘酒などのお接待を朝早くから来てする村の篤信者の姿等々・・・これらは北勢新四国に限ったことではないと聞いている。
これらも昭和15年(1940)ころまでの話で、その後はあの忌まわしい第2次世界大戦から終戦の混乱期へと入り、その存在さえも忘れられかけていたのが実状である。
四国・西国の巡拝がブーム的な様相を示すにしたがい、これらの復興をとの声を聞くに及び、昭和44件ころより桑名市大福田寺住職の宇賀師と筆者が2年にわたり東奔西走、三重交通KKの後援を得て、地域的なかたちで存在していたものを全県下
的な現在の三重四国八十八ヵ所として昭和46年秋、高野山より堀田管長猊下を迎えて発足の大法要を厳修した。三重県は観光県としても知られるように、海あり山ありの恵まれた土地だけに、これらの景観も充分に取り入れて現在の八十八ヵ所霊場は存在する。
桑名聖天大福田寺を1番として、昔の東海道名古屋熱田の宿より海上7里の渡しをわたった所に道中の安全を祈った龍福寺、東海道と参宮道とに分かれる追分の宿、広重五十三次に描くところの石薬師寺、浪曲で知られる荒神山観音寺、日本三関の一つといわれる関の地蔵院。
伊賀路へ入れば、奈良の二月堂とともにお水取りの行事で知られる正月堂観菩提寺、赤目の四十八滝、青選寺ダム、荒木又右衛門の鍵屋の辻、弘法大師開創と伝えられる名刹新大仏寺。津から松阪へかけては、伊勢神宮のお倉所である納所神宮寺、桜の名所三多気の真福院、大和の大峰山とともに山伏修験の道場として知られる飯福田等、厄除製音の岡寺山維松寺、展望の素晴らしい大石の不動院、大師が建立し自らの像を刻み安置された丹生神宮寺、熊野路には西国巡礼の手引觀音千福寺等々⋯。
伊勢志摩方面には、鳥羽湾一望の金胎寺、志摩三山の一つ庫蔵寺。全国の海上従事者、船主などの守り本尊として信仰をあつめる青峰山正福寺を88番とするこれら巡拝の道中は三重県の特性をいかんなく満喫できるだけに、信仰のうえからはもちろん、これを離れても一見の価値がある。文化財も豊富であり、枚挙にいとまがない。
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三重四国八十八箇所
弘法大師
専用御朱印
170人
概要
引用:巡拝事典
基本情報
札所数 | 札所数:93 (札所:88 その他:5) |
開創年 | 1971年 |
事務局 | 三重四国霊場会 |
連絡先 | 大聖院 059-345-1666 |
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