おてらおやつクラブ代表、松島住職に聞く「当事者意識から生まれた、覚悟が切り拓く人生」
皆さんもお寺で法事などをするとき、仏さまにお菓子や果物などをお供えしますよね。
「おてらおやつクラブ」はこの「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、経済的に大変な思いをしているご家庭へ「おすそわけ」をしている団体です。
この活動は全国にひろがり、2018年にはグッドデザイン大賞(公益財団法人日本デザイン振興会主催)を受賞しました。
今回はこの特定非営利活動法人おてらおやつクラブの代表理事で、奈良県の浄土宗安養寺三十二代住職・松島靖朗(まつしま せいろう)さんのお話を伺いました。
吉田 亮
1990年岐阜生まれ。東京大学文学部卒。
「100年後にも感謝される事業」を目指す、ホトカミや多言語お参りガイドなどを提供する株式会社DO THE SAMURAIの代表取締役。
重久 直子
神社やお寺は、歴史と文化の宝庫だと思います。霧島神宮に奉納されている絵馬に、江戸時代の祖先の名を見たときは震えました。
「普通に生きたい」お寺を飛び出して東京へ
幼い頃から悩み、高校を自主退学
ホトカミを運営していると、実家がお寺や神社の20代の息子さんや娘さんから、「実家を継ごうか迷っている」という相談を受けることがあります。松島住職は迷いなくお寺を継がれたのでしょうか?
今は覚悟を決めて、お坊さんとして死ぬまで生きていこうと思っていますが、それまでは紆余曲折ありました。
このお寺は母の実家で、祖父が住職をしていました。僕は大阪で父と母と妹と暮らしていたのですが、僕が小学校にあがるタイミングで、奈良のお寺での生活が始まりました。
最初はなにもかもが目新しくて「お寺って楽しいところやな」と思いました。
でもまわりから「あんたは将来お坊さんになるんやで」「立派な人にならなあかんで」というような声が増えてきた。自分の人生のレールがすでに決められている気がして、とても窮屈で「僕もまわりの他の友だちと同じように、普通に生きたい」と思うようになりました。
小学生のときは「お寺は悩んでいる人を救うところなのに、なんでお寺に生まれた自分がこんなに悩まなくちゃいけないの?」と思いました。でも誰も答えてくれなかった。「お坊さんになったら、それなりに生きていけるんだよ」とか、そのくらいの話しかしてくれない。「ちゃんと質問に答えてよ」と思いましたね。
いよいよ「お寺から出よう」と思ったのは高校に進学したとき。
僕は仏教系の高校に進学したのですが、まわりのみんなも自分と同じ、実家がお寺という生徒でいっぱい。「このままでは本当にお坊さんになってしまう」と思ってすぐに退学したんです。入る前に気づけなかったのは、僕の不器用な生き方そのものですね。
自分で選んだ道を進み、上京・就職・転職
退学してからは「どうやったらお寺から離れられるのか」ということばかり考えていました。「バイクに乗ったり、タバコを吸ったり。不良の定番っぽいことをやったら追い出されるかもしれないし、それもいいかもな」と。でも何もできない自分にも薄々気づいていたんです。アルバイトを探してもやりたいことが無いし、やっても続かないし。
そんなこんなで、やっぱり高校に行こうと思って、今度は自分で行きたい高校を選んで、普通の公立高校に入学しました。誰も僕がお寺の跡継ぎだなんて知らないし、めちゃくちゃ楽しかった。
早稲田大学に進学したときは、「これでお寺から離れることができる」「経営を学んで起業したい」と自立を覚悟して、片道切符で上京しました。
それが1996年。
ちょうどWindows95が出た頃で、渋谷がビットバレーと呼ばれITベンチャーが次々と立ち上がり、「これからインターネットが世の中をどんどん変えていくんだよ」という時代でした。
卒業後は東京の大手IT企業に就職し、「ベンチャー企業に投資して一緒に事業を大きくしていこう」という仕事をしました。
でもベンチャー企業と仕事をしているうちに、「大企業とベンチャーでは熱量がぜんぜん違う」「大企業にいては見えないことがたくさんある」と思い、その投資先のベンチャー企業に転職しました。
33歳で気付いた「お坊さん」というユニークな生き方
「何のためにお坊さんになるのか」が大切
そのうち転職先のベンチャー企業も軌道に乗り、「次は何をしようかな」と思ったとき、気付いたんです。
自分は「普通の静かな人生を歩みたい」と思って東京に出てきたのに、東京で出会った凄い人達、こんな人みたいになりたい、と思ったのは、どこかユニークな人ばかりだった、ということに。
このギャップをどうしたものか…。
そのときようやく気がついたんですね。「お坊さんというユニークな生き方が、自分にはあるじゃないか」と。そしてお寺に戻ってきました。
お坊さんになる動機は人それぞれ。無理やりお坊さんになる必要はない。でも、動機は大切にしなければならない。資格を取ればお坊さんになれるんですよ。でもそれじゃだめだよね。
「何のためにお坊さんになるのか」が大事。
「家業を継がなければならない」という理由で悩んでいるのだったら、一度その枠組みから外れて「何がしたいのか」を考えてみる。すると楽になれるし、違う道がみつかるかもしれない。
世襲しなければならないわけではないのだから。まわりはいろいろと期待するけどね。
それに加えて、お寺の運営に関わる人々も変わらなければならないと思う。
せっかく跡継ぎ息子が帰ってきても、お父さんが住職をやっている間は、手持ち無沙汰でやることがない。あれこれ悶々としているうちに変な方向にいっちゃうお坊さんもいっぱいいる。おまえらなにしてんねんと。住職(お父さん)も「はやく自分は退いて息子に住職をやらせる」くらいの覚悟をもってほしい。
「お寺では食べていけないからお前はお坊さんじゃなくて医者を目指せ」というお父さんもいる。(笑)まあこれは賛否あるけど、世襲ではない住職継承もこれからもっと増えていってほしいですね。それが本来の姿かもしれない。
僕はいきなり住職だったから、自分で考えて動くしかなかった。「住職って凄えな、こんなことまでやっていたんだ」ということもあったし、大変だったけど、すごく良かったと思っています。
僕は33歳のときにお寺に戻って2年ほど修行し、35歳でお坊さんになりました。35年かかったんですよ、お坊さんになるのに。
お釈迦さまが悟りを開いたのも35歳だったよな〜、としみじみ思ったこともありました。全然比較になってないけど。
そして38歳でいよいよ住職になり、今43歳、住職になって5年です。
今ようやく、お寺ってどういうところなのか、地域の中でどういう役割を担っているのか、ということを少し落ち着いて考えられるようになりました。
まだ迷うことはあります。でも迷いながら止まってしまうのではなく、とにかくやる。修行しながら前に進むことで、迷いに対する答えがきっと見つかる、と思っています。
当事者意識が「覚悟」に変わり、道が拓ける
先ほど「覚悟を決めて、死ぬまでお坊さんとして生きていく」とおっしゃっていましたが、どのあたりから迷いがなくなったのですか?
わりと最近かな?(笑)
「おてらおやつクラブ」という活動が、「グッドデザイン大賞」を受賞しました。
貧困問題解決を目指すこの活動が、お寺のなかだけでなく、社会からも応援してもらえたことが、大きな自信になりました。
でも色々と悩みはあり、「おてらおやつクラブ」を始めて5年くらいになりますが、まだまだ想定外のことが起きます。
日々もがきながら、少しずつ、自分の中で信仰がゆらがなくなっていく気がします。塗り壁みたいに毎年少しずつ、塗られていなかったところの穴を埋めていくという感じかな。
中退・上京・転職・お寺を継ぐなど、様々な決断をされてた松島住職にとって、決断における「覚悟」とは何ですか?
「覚悟」というのは何かをやるとき、自分自身がその当事者であるか、当事者として位置づけられるか、というのが大切だと思います。
「自分のこととして関心が持てるかどうか」ですね。当事者としての意識があれば、もう「覚悟は決まった」ということではないでしょうか。
「おてらおやつクラブ」の場合は、きっかけになった事件がありました。
5年程前、当時僕は父親になったばかりだったのですが、大阪で28歳のお母さんと3歳の息子さんが餓死状態で発見されたんです。僕も子供の頃は大阪で暮らしていたし、母子家庭で育ちました。本当に他人事じゃない、なんとかしなければならない、と思いました。
そこで気付いたのが、お寺で毎日たくさん頂いている「お供えもの」のお菓子。このお菓子を色んな事情でハンディキャップのあるご家庭に届けられたら、そう思って「おてらおやつクラブ」を始めたんです。
「当事者意識」から「覚悟」が生まれ、何かを始める、ということは、日々起こると思います。
実は僕にはハンディキャップのある子どもがいます。それまでは「生まれつきハンディキャップを持っているお子さんのいるご家庭は大変だな」ぐらいにしか思っていなかった。でも実際は、そんな言葉で簡単に済ませられないほど壮絶な毎日があった。苦しいときもあれば、親として人間として、子どもに教わることもたくさんある。
療育の現場では、大変なご苦労をされている大勢のお母さんやお子さんと出会います。僕も今まで知らなかった色々な苦しみを知り、ハンディキャップのある子どもを持つ親として何ができるのか、とても考えるようになりました。これも当事者だからですよね。
僕も5年前から「大好きな日本文化や歴史を現代に活かし、未来に残していきたい」という想いで、神社ツアーやお寺でのイベントをしてきました。そして神社やお寺の知り合いが増え、色々な悩みを聞くなかで、僕にも当事者意識が芽生え、続けていくうちに腹が据わり、「一生やっていくぞ!」という覚悟で、いま「ホトカミ」を運営しています。
そうそう、そうね。
「覚悟」というのは、やっぱり続けていくなかで固まっていくんじゃないかな。
そうやって「当事者意識」が生まれてきたものが、その人の進んでいく道だと思う。それがユニークな、その人なりの生き方ではないかと思います。
またインターネットって、そういった当事者同士がつながりやすいですよね。何か課題があったとき、インターネットで検索すると、色々なコミュニティがでてくる。すると当事者同士の集まりのなかで、自分が助けられることもあるし、自分の経験が役に立つときもある。
こうやって、同じ課題をもった人同士がつながると、当事者としての覚悟がより深まり、もの凄いパワーが生まれる。こういうところがインターネットの凄さだな、と思います。
43年生きてきて、昔は嫌で仕方なかった「お仏飯(おぶっぱん)に育てられたこと」のありがたさが、ようやく分かるようになったんです。
自分は色んな人のご縁のなかで育ててもらったんだなぁと。この恩をどうやって返していくか、子どもたちの未来のために「お仏飯」を「おてらおやつクラブ」を通じて「おすそわけ」してくことで、自分と同じようにご縁の中で育つ子どもたちが増えるといいなと思います。
「おてらおやつクラブ」と「仏・法・僧」
昔からお寺がやっていたこと
「おてらおやつクラブ」は新しい取り組みだと思いますが、新しいことを広げるにあたり、大切にしていることは何でしょうか?
「おてらおやつクラブ」の活動は全然新しくないんですよ。仏さまへの「おそなえ」を「おさがり」としていただき「おすそわけ」する、という輪の中に、さまざまなご縁のある方々にはいってもらう。昔から日々お寺がやっていたことです。新しさがあるとすれば、今までつながっていなかったところがつながった、というだけ。
今の日本は、子供の7人に1人、18歳未満でいうと280万人もの子供が貧困状態にあります。うちのお寺が月に1度、ダンボール1個送るだけでは全然足りない。砂漠に水を1滴落とすようなもの。そこで他のお寺にも声をかけた。
「おてらおやつクラブ」という名前も、単純に、お寺のお供えものなので「おてら」、子ども達におやつを届けたいから「おやつクラブ」と、それくらいに思って名付けました。
でも活動開始から5年、いろいろな経験をして、「おてらおやつクラブ」という名前がとてもしっくりくるようになってきたんですね。
「おてら」は「仏さま、ご本尊さまをおまつりする場所」、
「おやつ」は「仏さまの教え、法を味わうこと」、
「クラブ」は「僧伽・サンガ(共に集い仏さまの教えを学び実践する仲間)」、
「仏・法・僧(ぶっぽうそう)やん!」
ああ、そういうことか!と気づいたんですね。
「おてらおやつクラブ」のなかで大切にしているのは、この「仏・法・僧」の三宝を敬う、ということです。なんというか、すごく当たり前というか、基本的なことですよね。
もし「おてらおやつクラブ」が活動を続けられなくなる状況があるとしたら、それは全国のお寺にお供えする人々がいなくなるときだと思います。だからこそ皆さんに信仰をしっかり続けてもらうこと、次の世代に信仰を相続していくことが大切なんです。そのためにも僕たちお坊さんがもっとしっかりしないといけない、ということです。
お寺は仏教を伝える場所、仏教は苦しみから逃れるための教え。お寺は「困っている人達にとっての最後の砦」だと思っています。
目に見えないが、確かに存在する信仰
「仏・法・僧」という話が出ましたが、松島さんが「お坊さんになった」と思われた瞬間はいつだったのでしょうか?
僕が一番「お坊さんになったんだ」と思った瞬間は、2年の修行を終えて35歳でお坊さんになり、お師僧さまから「戒」(かい・仏教徒として守るルール)を授けられたとき。
つまり「戒律を守って、お坊さんとして生きていきます」ということを、仏さまに誓ったときですね。
儀式のなかで、目には見えないですけど「戒体(かいたい)」というものを授けられます。
仏教は苦しみから逃れるための教えです。
「抜苦与楽」(ばっくよらく)という言葉がありますが、これは「慈悲の心によって、生きとし生けるものの苦しみを抜き、楽を与える」ということです。
お坊さんはその教えを人々にお伝えする役目があるわけですね。
でも「お坊さんでなくても、人々の苦しみを取り除いてくれる人はいるよ」と言われることがあります。
個人的な話だけど、お坊さんになる前となった後で一番変わったなと僕が意識していることは、先程も話した「戒体を持って生きている」ということ。
「破戒(はかい)」っていう言葉があるでしょ。これは「戒」を持っているから破れるんです。「戒」は大切なんです。
僕は日常の生活のなかで、めちゃくちゃ「破戒」しているけどね。でも日々「懴悔(さんげ)」して反省している。これも「戒」という基準を持っているから修正していける。
「戒」は目に見えないけど機能している、とても大きな存在です。
でも、ここからが大事な話で。
「戒」を授かったから立派な存在かというと全然そんなことはない。破戒を繰り返し、自分の至らなさを自分が一番自覚している毎日。
自分が苦しんでいる人を救おうなんてとんでもない。自分も苦しんでいる人と同じ凡夫(ぼんぶ)なんだということ。
そしてそんな凡夫を救おうとしてくれる仏さまの存在が、どんどんありがたく感じられてくる。
つまり、僕は苦しんでいる人とともにただ一緒にいるだけ、そこにいるだけの存在なんだ、ということに気が付くんです。
仏教は目に見えないものを大切にしていますが、これも「おてらおやつクラブ」の活動とつながっています。
おすそ分けを受け取ったお母さん達から、お礼の手紙やメールを頂くのですが、「目には見えないけど見守ってくれる人がいる。とても励みになっています」と書いてあるんです。
これは日々、僕達が言っている「目には見えないけど、仏さまやご先祖さまが見守ってくれているんですよ」ということとつながるんですね。お母さん達からの手紙を読んで、ハッと気付かされました。
また、貧困問題解決のための活動というと、「支援する側」と「される側」みたいに思われますが、そんなことはなくて、僕達の方こそ凄く学ばせてもらってます。逆に僕達が修行を進めていく上でのサポートをしてもらっています。全国のお寺で日々こういうことが起こっているというのは、すごく意味のあることだと思います。
僕の中で違和感があるのが、「仏教離れ」「宗教離れ」「寺院消滅」とか、そういう話。
でも「おてらおやつクラブ」では、逆に5年間で1,000カ寺ものお寺が、宗派を越えて、貧困問題解決のために何かしようと動いている。その背景には「仏・法・僧」、つまり人々が寄せる信仰が確かに存在しています。もっとそこをお伝えしていきたいです。
全国には7万以上のお寺があるので、まだまだこの活動は広げていけると思っています。ポテンシャルは凄くあるんです。お寺が社会インフラとして、ますます重要になっていくと思います。
大切なのは「目の前の人の苦しみをどう取り除くのか」
ホトカミのユーザーさんから、「御朱印をきっかけにお寺や神社に興味を持ったのだけど、お寺ともっと関わりたい、でも檀家になるほどの覚悟はできない」と言われるのですが、どのように関わっていけばいいと思われますか?
檀家制度というものが、そもそもないんですよ。だから檀家制度はどうなっていきますか、と聞かれても、僕もうまく答えられない、逆に聞きたい。たまに「うちのお寺は檀家制度やめました!」みたいなことをドヤ顔で言ってたりするけど、滑稽ですよね。大事なのは「個々の人々とどう向き合っていくか」です。
実際、「墓じまい」や「家じまい・仏壇じまい」の相談がうちのお寺でもあります。代々続いていたお墓を、あとをみるものがいないなどの理由で維持できなくなり、お寺と家との関係が無くなってしまう、ということですね。
今後は、檀家制度というより個人がそれぞれが抱えている悩みや苦しみを、家単位ではなく、どう個別に解決していけるかですね。
それから、一般の方々向けに道場を開いているお寺もあるので、そこで修行して「戒」(仏教徒として守るルール)を授かり、生前に「戒名(かいみょう)」を頂いて生きることもできますよ。
これも檀家になるのではなく、個人の信仰。要するに「仏教徒として生まれ変わってもらう」ということです。
御朱印以上のつながりといえば、うちは毎月20人位、お檀家さんでもない方々が「おてらおやつクラブ」のお手伝いに来てくださいます。
現代の人たちは、「この場所に行きたい」と場所を基準にするよりも、「これがやりたい」という目的を大事にして、行動する人が多いんじゃないかな。目的を達成できるならたとえ遠くても、行くという。だから多くの情報が掲載されている「ホトカミ」みたいなサイトは、色んな目的を見つけるためにも凄く意味があるんじゃないかな。
インターネットの感動を、お坊さんになっても追求
ところで、こちらのお寺で、子ども達のプログラミング道場(コーダー道場・CoderDojo)を開催していると伺ったのですが、お寺とプログラミングという組み合わせ、カッコいいな、と思いました。
ご近所に奈良県内でコーダー道場を運営している方がおられて、ネットで知り合いお寺に来てくれたんです。すぐに意気投合し、それがご縁でお寺で道場を開催することになりました。
昨日も道場開催日だったんですが、ノートパソコンを開いて、好き勝手にプログラミングしてドローンを飛ばす小6の子がいました。彼らの姿を見る限り、日本の将来は明るいと思いますね。コーダー道場が、子どもの貧困問題の解決にも貢献できるかもしれませんね。
僕が東京で経験したのは、「ITの最大の魅力は、人と人とを繋げる、人とモノを繋げることで付加価値を生み出すこと」でした。
今やっているのは、「苦しんでいる人々と、苦しみから逃れるための教えである仏教をつなげること」。
昔も今もやっていることは何も変わりません。
インターネットに初めて触れたときの感動と可能性を、お坊さんになっても変わらず追求しています。
最後に、ホトカミの読者、お寺にお参りされる方へ、メッセージをお願いします。
僕もそうだけど、あなたもいずれ死ぬ。
死を考え始めるきっかけとして、お寺という場所をどうぞ使ってください。
インスタ映えするとか、御朱印を集めるためにお寺に来ました、というのもいいのですが、でもお寺は「死の苦しみをどうやって乗り越えていくか」「大切な人との別れの苦しみをどうやって乗り越えていくか」というときに何かの力になれるところだと思います。
しんどいときにこそお寺に来てほしい。僕達もしんどい人を受け入れられるよう、しっかりと準備します。必要なら奈良に、うちのお寺にも来てほしい。片道切符で来てくれてもいい。
「どうにもならないとき、そういうときに行ける場所がお寺なんだ」ということを覚えていただけるとありがたいですね。
最後に
インタビューにあたり、おてらおやつクラブさんに関するこれまでの記事を全部読ませていただきました。
調べていくうちに松島住職ご自身に興味を持ち、どういった考えや思想によって生きてらっしゃるのか、そこに生きるためのヒントがあるのではないか、と思いました。
また、ホトカミでお遍路の記事などを執筆しているインターン生の横井君から「実家の墓石屋さんを継ぐには、まだ覚悟が足りないかも・・・」との相談を受け、僕自身「覚悟ってなんだ?」「覚悟はどうやって生まれるのだろうか?」と自問自答していた時期だったので、松島住職に相談させていただくような気持ちでお話を伺いました。
覚悟について、松島住職は以下のように仰っていました。
「覚悟」というのは何かをやるとき、自分自身がその当事者であるか、当事者として位置づけられるか、というのが大切だと思います。
「自分のこととして関心が持てるかどうか」ですね。
当事者としての意識があれば、もう「覚悟は決まった」ということではないでしょうか。
「覚悟」というのは、やっぱり続けていくなかで固まっていくんじゃないかな。そうやって「当事者意識」が生まれてきたものが、その人の進んでいく道だと思う。それがユニークな、その人なりの生き方ではないかと思います。
同じ課題をもった人同士がつながると、当事者としての覚悟がより深まり、もの凄いパワーが生まれる。こういうところがインターネットの凄さだな、と思います。
松島住職の言葉から、「インターネットで簡単に情報が得られる現代だからこそ、実際に足を運んで手を動かし、対話したり葛藤することで当事者意識が生まれ、覚悟が醸成されていくのだ」そして、「インターネットで同じ覚悟を持つ人々が繋がることで、すごいパワーが生まれるんだ」と改めて感じました。
本当にありがとうございました。
ホトカミ運営代表 吉田亮
松島靖朗(まつしま せいろう)住職 プロフィール
浄土宗安養寺(奈良県田原本町)第三十二代住職 特定非営利活動法人おてらおやつクラブ代表理事
1975年生まれ。早稲田大学卒業後、企業にてインターネット関連事業、会社経営に従事。2010年、浄土宗総本山知恩院にて修行を終え僧侶となる。2014年に「おてらおやつクラブ」活動開始、2017年8月に特定非営利活動法人化。
浄土宗平和賞、奈良人権文化選奨、奈良日賞、中外日報涙骨賞、2018年度グッドデザイン賞大賞受賞。
安養寺(あんようじ)の情報
宗派:浄土宗
創建:1633年
拝観時間:拝観は事前にご予約が必要です。
御本尊:阿弥陀如来坐像。快慶作の重要文化財です。
住所:奈良県磯城郡田原本町八尾40
アクセス:近鉄橿原線「田原本駅」より徒歩20分
電話番号:0744-33-0753
公式HP:http://anyouji.jp/
ホトカミ:https://hotokami.jp/area/nara/Hmgty/Hmgtytk/Dkkkm/14376/
おてらおやつクラブ:https://otera-oyatsu.club/
グッドデザイン賞:http://www.g-mark.org/
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