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久遠寺ではいただけません
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久遠寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月10日(水)
参拝:2020年2月吉日
山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山(祖山)。山号は身延山、院号は妙法華院。
創建は鎌倉時代の1281年、開基は日蓮聖人の有力壇越(支持者)であった南部実長、開山は日蓮聖人。
日蓮聖人は佐渡での流刑を終え鎌倉に戻ったが、1274年甲斐国波木井(はきい)郷の地頭・南部実長の招きで西谷に草庵をむすび、法華経の読誦・広宣流布、弟子信徒の強化育成、さらに日本に迫る来る蒙古軍の退散・国土安隠を祈念した。
1281年に十四面の大坊が整備され、日蓮聖人自ら「身延山妙法華院久遠寺」と名付けた。その翌年、常陸国での湯治治療と安房国での両親の墓参のために身延山を下りたが、途中武蔵国の池上宗仲邸で病状が悪化し入滅した。遺骨は「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という遺言通り、身延山に祀られている。
当寺は、公共交通機関だとローカル線のJR身延線・身延駅から公共バスがおそらく最安(安)。ただ、東京からだと新宿から高速バス(山梨交通/京王バス)が出ているので非常に便利(楽)(ただし、途中停車が多く時間はかかる。新宿から3時間半)。東京から自家用車だと、中央自動車道経由で順調なら2時間ちょっと(早)。当日は(安)・(楽)・(早)の中から(楽)を選択、バスタ新宿から高速バスを利用、始発(7:45発)で向かい、終バス(17:10発)で都内に戻った。
参拝時は真冬2月の祝日、広い境内では参拝者はぱらぱら見掛けるぐらいかと思ったが、思親閣行きのケーブルカーに乗るとそれなりの人数がいることが分かった。
創建は鎌倉時代の1281年、開基は日蓮聖人の有力壇越(支持者)であった南部実長、開山は日蓮聖人。
日蓮聖人は佐渡での流刑を終え鎌倉に戻ったが、1274年甲斐国波木井(はきい)郷の地頭・南部実長の招きで西谷に草庵をむすび、法華経の読誦・広宣流布、弟子信徒の強化育成、さらに日本に迫る来る蒙古軍の退散・国土安隠を祈念した。
1281年に十四面の大坊が整備され、日蓮聖人自ら「身延山妙法華院久遠寺」と名付けた。その翌年、常陸国での湯治治療と安房国での両親の墓参のために身延山を下りたが、途中武蔵国の池上宗仲邸で病状が悪化し入滅した。遺骨は「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という遺言通り、身延山に祀られている。
当寺は、公共交通機関だとローカル線のJR身延線・身延駅から公共バスがおそらく最安(安)。ただ、東京からだと新宿から高速バス(山梨交通/京王バス)が出ているので非常に便利(楽)(ただし、途中停車が多く時間はかかる。新宿から3時間半)。東京から自家用車だと、中央自動車道経由で順調なら2時間ちょっと(早)。当日は(安)・(楽)・(早)の中から(楽)を選択、バスタ新宿から高速バスを利用、始発(7:45発)で向かい、終バス(17:10発)で都内に戻った。
参拝時は真冬2月の祝日、広い境内では参拝者はぱらぱら見掛けるぐらいかと思ったが、思親閣行きのケーブルカーに乗るとそれなりの人数がいることが分かった。
高速バスのバス停から門前町のなだらかな坂を上がり、軽く階段を上がると<三門>。<三門>とは「空」「無相」「無願」の三解脱をあらわすとのこと。仁王門とも呼ばれ、間口23m、奥行9m、高さ21mで、日本三大門の一つ(諸説有)。現在の建物は総ヒノキ造りで、1907年建立。1階部分にある仁王像は運慶作または定朝作で鎌倉時代の名作と言われる。2階部分にあたる楼内には釈迦如来像と十六羅漢像を安置。
三門の内側に授与所がある。久遠寺では4つの御朱印が拝受できるが、ここで一つ目の御朱印をいただく。
三門を抜けると、見事な杉並木が歓迎してくれる。写真が下手で伝わりにくいが、高さがあって幹がとにかく太い杉の古木が何本も立ち並んでいる。
杉並木をしばらく進むと現れるのが<菩提梯>。高さ104m、287段の石段で、登り切れば涅槃に達するという梯(かけはし)。日蓮宗の南無妙法蓮華経の7文字になぞらえ、7区画に分かれている。
途中で6回休憩場所があるとはいえ、この階段はキツイ!ここを登れば健康状態のチェックになること請け合い。この階段を避けたい場合には、菩提梯の麓から左に行くと斜面が急な<男坂>、右に行くとゆるやかな<女坂>を通って境内に行くこともできる。
途中で6回休憩場所があるとはいえ、この階段はキツイ!ここを登れば健康状態のチェックになること請け合い。この階段を避けたい場合には、菩提梯の麓から左に行くと斜面が急な<男坂>、右に行くとゆるやかな<女坂>を通って境内に行くこともできる。
菩提梯の麓右手にある、日蓮聖人の大パトロン、南部實長(なんぶさねなが)公の銅像。この場所自体、もともと實長公の領地。日蓮聖人に寄付。
287段を登り切っって振り返る。スキー場で上級者コースの上に立った感じ。かなりの傾斜がある。はるか遠くに見える山々が美しい。
287段を登り切って見える景色。ラフに撮ってみた。広角レンズでないと、すべてを収めることができない。左から、五重塔、本堂、手水舎。
まず左手から<手水舎>。屋根も石の水盤も大きく立派。
<手水舎>の後ろには<大鐘>。
右手にある<五重塔>。1875年に焼失して2009年に再建。
菩提梯を登って真正面にある<本堂>は間口32メートル、奥行51メートル。サイズはかなり巨大で圧倒される。
本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたいわゆる立体曼荼羅。釈迦如来像・多宝如来像・四菩薩像・不動明王像・愛染明王像・四天王像・普賢菩薩像・文殊師利菩薩像・日蓮大聖人坐像などからなる。龍の天井画も有名。
本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたいわゆる立体曼荼羅。釈迦如来像・多宝如来像・四菩薩像・不動明王像・愛染明王像・四天王像・普賢菩薩像・文殊師利菩薩像・日蓮大聖人坐像などからなる。龍の天井画も有名。
本殿の<扁額>。参拝者の背丈と比べると、本殿がいかに大きいかが分かる。
本堂地下は<宝物殿>となっている。有料。入ってみると結構見どころがあり、写経などもできて楽しい。
本堂右隣の<棲神閣(ししんかく)祖師堂>。日蓮聖人の神霊を祀る堂閣。建物は江戸期に廃寺となった感応寺のお堂を、明治期の1881年に移築・再建した。
棲神閣の扁額。ここ祖師堂には天女や鳳凰、白鷺など色鮮やかな彫刻が施され、久遠寺の伽藍の中でも華やかさは随一。
棲神閣の右隣にある報恩閣(左)と新客殿(右)。報恩閣は寺務所・総受付になっていて、御朱印はこちら。
---------ここから、車で上がって来られる別の門に移動。
---------ここから、車で上がって来られる別の門に移動。
---------境内の東南方向に移動。
菩提梯とは別のルート、<女坂>や<東谷参道>を登って来ると、ここ<甘露門>に辿り着く。
当日は近くの学校の体育会が階段ダッシュのトレーニングをやっていた。
菩提梯とは別のルート、<女坂>や<東谷参道>を登って来ると、ここ<甘露門>に辿り着く。
当日は近くの学校の体育会が階段ダッシュのトレーニングをやっていた。
<甘露門>をくぐって、すぐ左手にある<時鐘>。
<時鐘>の隣には、売店の機能がある<鶯渓閣>。
<甘露門>をくぐって、右側にある<法喜堂>。団体・信徒の休憩所。
<法喜堂>の左隣、一段高いところにある<大客殿>。いうなれば迎賓館か。
<甘露門>から素直に歩いて正面にある<仏殿>。1931年造営。両サイドに<納牌堂>がある。
<仏殿>の手前に置かれた<仏殿納牌堂・獅子口瓦>。
日蓮聖人の遺骨を祀った<御真骨堂>の拝殿。
拝殿正面。こちらも<棲神閣>に次いで煌びやか。
拝殿の対面にある<開基堂>。身延山開基大壇越・南部實長公を祀る。
(写真は逆光が厳しかった...汗)
(写真は逆光が厳しかった...汗)
<開基堂>は、建物部分の白色と屋根・塔部分の朱色のコントラストが美しい建造物。早咲きの梅花とともに。
<開基堂>と<大鐘>の間にある<御札所>。オフィシャルな授与品もあるが、食べ物なんかもあって見ていて楽しい。
<御札所>から振り返って<本堂>。堂々たるいでたち。
この後は、ロープウェイに乗って身延山頂にある<奥之院思親閣>に向かう。
(つづく)
この後は、ロープウェイに乗って身延山頂にある<奥之院思親閣>に向かう。
(つづく)
すてき
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惣一郎1269投稿
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