金龍寺の日常(28回目)|山梨県塩之沢駅
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投稿日:2021年05月26日(水)
昨日日朝堂をお参りした後、先輩上人と一緒に金龍寺の南東の方角の山の上に祀られている妙法両大善神の石碑へ向かいました。
以前檀家さんから昔この地域に災害がありその後に祀られたと聞いていたのですが、道中は険しい為現地に行ったのは今回が初めてでした。
道中はけもの道で途中鎖やトラロープに掴まりながら心許ない足場を進んでいきました(危ないので決して面白半分で行かないでください)。
そんなに長くはないものの険しい道中を進んだ先に開けた場所があり、そこに妙法両大善神の石碑が祀られていました。
まずはお経を一読しその後石碑をよく見てみると、弘化4年(1847年)と掘られていましたので、江戸の末期にその災害があり、当時の人々がここまで運んできて石碑を祀ったと考えられます。
妙法両大善神の二神は、日蓮大聖人の身延山入山の頃より身延山中にいた天狗で、人々を困らせていまたが、大聖人の高座石での説法で教化され「妙太郎」「法太郎」の名を頂き、妙法両大善神として法華経を信仰する人たちを天狗の大いなる力で守護するようになったといわれる神様です。
石碑が祀られる場所からは富士川が見渡せ、身延山や七面山を拝む事もできました。この場所から地域の人々を守ってくださっているのだと思います。
お守りくださるのは地域の方々が手を合わせる心があってこそ、機会を見てまた登ってこようと思います。
※道中大変危険ですので不用意に行かないようにしてください。
以前檀家さんから昔この地域に災害がありその後に祀られたと聞いていたのですが、道中は険しい為現地に行ったのは今回が初めてでした。
道中はけもの道で途中鎖やトラロープに掴まりながら心許ない足場を進んでいきました(危ないので決して面白半分で行かないでください)。
そんなに長くはないものの険しい道中を進んだ先に開けた場所があり、そこに妙法両大善神の石碑が祀られていました。
まずはお経を一読しその後石碑をよく見てみると、弘化4年(1847年)と掘られていましたので、江戸の末期にその災害があり、当時の人々がここまで運んできて石碑を祀ったと考えられます。
妙法両大善神の二神は、日蓮大聖人の身延山入山の頃より身延山中にいた天狗で、人々を困らせていまたが、大聖人の高座石での説法で教化され「妙太郎」「法太郎」の名を頂き、妙法両大善神として法華経を信仰する人たちを天狗の大いなる力で守護するようになったといわれる神様です。
石碑が祀られる場所からは富士川が見渡せ、身延山や七面山を拝む事もできました。この場所から地域の人々を守ってくださっているのだと思います。
お守りくださるのは地域の方々が手を合わせる心があってこそ、機会を見てまた登ってこようと思います。
※道中大変危険ですので不用意に行かないようにしてください。
すてき
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勝野光栄52投稿
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