ほんじゅうじ|日蓮宗|新叡山
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本重寺の編集履歴
2022年12月21日 21時21分
ふりがな
ほんじゅうじ
ご由緒
この城は小笠原次郎長清の孫、上野六郎盛長がここ上野の地に築いたもので、上野城といったが附近に椿が多いところから椿城と呼ぶようになった。
その後、武田十世信武の二男信明が観応年間(南北朝時代)、大井庄を領有し武田大井氏として栄えた。その六世大井上野介信達がこの城に拠った。信達は、武田信虎の正室で、晴信(信玄)の生母大井夫人の父親である。また信達は大井宗芸、武田高雲斎と号し、冷泉為和卿集にあるように和歌を善くし、永正3年に飛鳥井雅康より「八代集秀逸」を授与されており京都に学んだこともうかがえ、文亀、永正、大永年間の武将であり、晩年は晴信の外祖父として重きをなした人である。
尚、本重寺は信達の法名、本習院に由来するといわれている。
(看板より)
ご祭神/ご本尊
一塔両尊四士
見所
御首題は南アルプス市長明寺で頂けます。
御朱印
あり
山号
新叡山
文化財
本重寺板本尊
縦78.3センチメートル、幅41.1センチメートルで用材は桂である。弘安5年(1282年)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式で、正中2年(1325年)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。
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