わかみやはちまんじんじゃ
勧請年月は不明であるが、文永二年、地頭加藤伝兵衛修復の棟札あり、人皇二十二代雄略天皇の御宇巨摩の庄司篠塚佐ヱ門長経百姓の懇望により豊前国宇佐八幡より此の地に勧請さる。又社地続きに一ノ打二ノ打三ノ打の地名があるが当社に於て地名に因みて古風な田祭が行はれたと云ふ。尚虫祈祷を行い夜通しの祭であった。
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