臨済宗妙心寺派
月江寺のお参りの記録一覧
実は、こちらのお寺は隠れた富士山ビュースポットとなっています。
と、言ってしまったが、まあ。私の投稿を読む人は1人もいないので知られることはないでしょう。
外国人観光客はおりません。
檀家さんがおられるくらいで、静かに参拝出来ます。
寺領の寄進や安堵の書状は残されていないものの、天正19年(1591年)には加藤光吉から下吉田に2石を寄進した加藤氏判物状の写があり、『国志』によれば小林尾張守の孫某から田8石余を寄進され、慶安2年(1649年)には将軍家光から寺領16石を安堵する朱印状を得たという。江戸時代には下吉田の現在地へ移転する。寛永年間には江戸の海禅寺から禅心聖悦が入寺し、臨済宗妙心寺派に転派した。祥春院や正覚寺など市域をはじめ各地に20か寺の末寺と10数軒の門前町を形成し富士北麓最大規模の寺院となった。享保11年(1726年)、文化年間、天保8年(1836年)など数次の火災により伽藍を焼失している。江戸後期には伽藍が再建され、この際に造られた多くの仏像を有している。江戸中期には国学において廃仏論が主張され、月江寺では宝永3年(1706年)や正徳年間に鎮守社としていた下宮浅間神社(現在の冨士山下宮小室浅間神社)との鎮守争論が発生し、江戸後期には収束するものの、明治初期に再燃し月江寺僧の退去、仏碑や石仏が取り払われた。別当となっていた北口本宮冨士浅間神社に於いても、所持していた仁王門と仁王像が破却される、鐘楼の鐘が鋳つぶされるなど、県内では類例の少ない廃仏毀釈の事例となっている。
外国人観光客の喧騒を逃れ、独り静かに富士を観る。
富士の雪 望みし寺には 武田菱
山梨県といえば武田信玄だ。鐘楼、山門の屋根には武田菱。
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