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いさわはちまんぐう

石和八幡宮(官知物部神社)の御由緒・歴史
山梨県 石和温泉駅

ご祭神《主》天足彦国押人命,稚城瓊入彦命,応神天皇,神功皇后,仲哀天皇,日売大神,物部氏遠祖十神
ご神体御室山(大蔵経寺山)
創建時代垂仁天皇二十七年(BC20年代)
創始者稚城瓊入彦命
ご由緒

当地に深き所以のある大和朝廷の貴人の神霊二柱と物部氏遠祖十神を祀り、官知物部神社として創始しこの郷一帯の鎮守とした。中世に至り、建久三年(一一九二年)石和五郎信光(武田信光)が鎌倉幕府創建における功績により甲斐國河東半國の守護職となり、石和に政庁として居館を構へた際、鎌倉鶴岡八幡宮を勧請合祀し甲斐源氏の氏神として国衙八幡宮と改め、後に石和八幡宮と称した。
この時将軍源頼朝より神領五百貫の寄進と「うつしては 同じ宮ゐの神垣に 汲みてあふかむ 美たらしの水」の和歌一首の奉納ありとつたへられてゐる。以後武田氏を宗家とする甲斐源氏一門の崇敬厚く、正治二年(一二〇〇年)より永正十六年(一五一九年)に武田信虎が甲府躑躅ヶ崎に居館を移すまでの約三二〇年間、弓馬に秀で将軍や執権北条氏の指南役を務めた武田信光の武技に因み甲斐源氏一門の射法相伝の儀式は全て当社にて行はれたと伝へられ、現在例大祭に合はせて流鏑馬神事が奉納されてゐる。また、安土桃山時代から江戸時代を通じて歴代領主及び甲府勤番支配は当社への神拝を例とした。戦国時代には織田軍の甲斐侵攻の折兵火により社殿・社宝ことごとく廃塵に帰したが、後徳川家康の寄進により再建された。
その後平成十八年に至り不慮の火災に遭ひ本殿・弊殿・拝殿を焼失したが、多くの奉賛を得て平成二十一年無事再建され今日に至る。
地元では古くから「八幡さん」として親しまれ、祭典日や正月等多くの参拝者で賑はひを見せてゐる。
明治六年郷社に選定されたが氏子の願ひにより村社に列せられた。

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