たまもろじんじゃ
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楽しみ方玉諸神社のお参りの記録一覧

笛吹市を廻り、甲府市に入りまずは愛宕神社の兼務社です。甲斐国三宮で、立派な社殿と結構な広さの社地です。社務所も新しいのに無人とはもったいない。同名の神社が甲州市にもあり、式内論社の一社です。

社号標

正徳三年(1713)再建の一の鳥居(旧二の鳥居)かつて一の鳥居が南700㍍付近にあったらしい


神池

弁天島

境内社 厳島神社

由緒書

明治四十五年(1912)再建の二の鳥居(旧三の鳥居)

旧三の鳥居の勅額

「勅額」説明板

忠魂碑

昭和五十七年(1972)奉納の手水舎

手水鉢


神楽殿

平成十六年(2004)造営の拝殿

拝殿側面

扁額

慶長十四年(1609)再建の本殿 もし再建時のままのものであれば文化財指定されているべきものですが、現状未指定ですので、後年のものかもしれません


石祠群

八社の石祠(諏訪大社・二之宮 美和神社・一宮 浅間神社等)

境内社 天照皇大神


社務所壁面に武田信玄公書状など貴重な資料が展示されています



玉緒神社(たまもろ~)は、山梨県甲府市国玉町にある神社。式内論社、甲斐国三之宮で、旧社格は県社。祭神は國魂大神命。
社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊東征の帰途、甲府盆地の水害防止のため現在地に珠を埋め、その上に杉を植えて神籬木とし、國魂大神を祀ったのが始まり。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 玉緒神社 小」の論社となっており、他にも同名の論社が1社(甲州市塩山上竹森)ある。のち甲斐国三之宮とされ、浅間神社(一宮)、玉諸神社(三宮)とともに、竜王の信玄堤(甲斐市)において甲斐国の水防祈念の祭儀を執行、その「三社御幸」は國内挙げての大祭であった(明治期まで毎年執行された)。中世には甲斐国守護・武田氏から崇敬を受け社殿が造成されたと伝わるが、1582年武田氏滅亡時の兵火で社殿などを焼失。その後徳川氏によって保護され、朱印地61石を安堵された。明治時代には近代社格制度
において県社に列格した。
当社は、JR中央本線・酒折駅の南方800mのブドウ園と住宅が入り混じる平地にある。旧県社らしく、境内は広々としていて、無人社にも関わらず、社殿、神楽殿、社務所、手水舎、鳥居、社号標のいずれもが新しく非常に立派。草木も綺麗に整えられ、地面も綺麗に掃き清められており、境内は非常に気持ちが良い。普段から氏子衆の崇敬の篤さが感じられる。
今回は、一日甲府旅行の8社目、式内論社、甲斐国三之宮、旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、、自分以外には参拝者は見かけなかった。
※御朱印は、当社から3kmほど離れた愛宕神社(甲府市)で拝受できる。

境内南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。鳥居は木製の六脚鳥居。六脚にも瓦が乗った豪華版。

一の鳥居をくぐって左側にある<神池・弁天島>。

つづいて<二の鳥居>。こちらは石製鳥居。<玉諸神社>と記した石製扁額付き。

二の鳥居をくぐって左側にある立派な松の木。長年に渡り相当まめに手入れをしないとこうはならないのでは。素晴らしい。(o^―^o)

立派な松の木の右側にある<手水舎>。

手水舎の右奥にある<神楽殿>。美しく非常に立派。

<拝殿>全景。屋根、躯体ともに新しそう。大きくて重厚。2004年の造営とのこと。

<拝殿>正面。白い神社幕が見た目を引き締めている。丸に三つ引きは社紋かな。

拝殿正面上方に掛かっている<扁額>。

参道を挟んで神楽殿の反対側にある石碑と立派な木。

参道の左側、手水舎、神楽殿の奥にある<社務所>。ガラス張りの展示物もある。

<社殿>全景。きれいで立派な見た目。

社殿の左側にある境内社群。

拝殿の後ろにある<本殿>。拝殿と同時期、平成の再建かな? 宮司さん、氏子衆に大事にされているのが分かる。(^▽^)/

甲斐国山梨郡の式内論社で、甲斐国三宮として崇敬されています。倭建命さまの東征の帰り道に、現鎮座地に玉を埋めて神籬を植えたことが創建の由来となっています。

《鳥居と社号碑》

《紅梅と白梅》
もう春が来てますね。

《由緒書き》
水害を止めるために神様を祀ったみたいですね。

《忠魂碑》

《神楽殿》

《手水舎》
水は流れていません。

《資料》
社務所前にガラス張りで展示されています。春の御幸祭りについて書かれていました。

《拝殿》
☆チェックポイント!!
鎮座は神籬として植えられた玉室杉の場所ですが、信仰対象は北方にある御室山で、山頂には山宮があり昔はそこまで御神幸が行われていたそうです。

《扁額》
遥拝ターイム!!
扁額の字が青色ですね。
酒折宮に続いて参拝させて頂きました。
三之宮だけあって社地は広いですが残念ながら参拝者は他にはいませんでした。
社務所も閉まっており、ひっそりとした感じでした。
社務所が閉まっていたので、御朱印が頂けるかどうかは不明です。
ん~…見落としたのかなぁ?
狛犬が無かったような気が…
国道411号線から入ると国玉町公民館の先に駐車場の入り口があります。

社号標

鳥居

神池 弁天島


案内はありませんでしたが弁天島ですので
恐らく弁財天かと

由緒

鳥居
下の説明だと三の鳥居のようですが、鳥居は2つしか見当たりませんでした


國玉大明神の扁額
三の鳥居にあったものが江戸時代の地震で倒壊したようです


忠魂碑

境内全景

手水舎

残念ながら水は張られていませんでした
柄杓を近づけたら水が出る?
と思いましたが出ませんでした

神楽殿

拝殿

扁額

神紋

本殿

社務所


ガラスで反射してしまいましたが
玉諸神社棟札


社務所の横には色々な資料が掲示されていました

大きさ的には宝物殿でしょうか?

末社群
案内等もなく何社かは不明です

唯一これだけは
天照大神と彫られているのが判りました



駐車場

JR中央本線酒折駅から徒歩10分くらいのところに居られます。
甲斐國三宮。
元々は線路を挟んで北側の御室山に居られたようですが
御室山を検索しても石和温泉の北側しか見つからず
ただ、酒折宮から北西の県道沿いに拝殿跡があるようですので
それがどちらを向いていたかで御室山がどこかわかりそうですね。
日本武尊が東征の帰路に水害防止として珠を埋め
その上に杉を植えて依り代とし国玉大神を祀ったら水害が治まったことから
社が建てられ、その杉が玉室杉と呼ばれたことから玉諸という名前になったそうです。
御幸祭では三社神社まで、一宮、二宮とともに渡御するそうで
ポンポコサンと呼ばれるっ神馬が担ぎ出されるそうです。
GoogleMapでも拝殿跡近くにポンポコ塚というのが見られますね。
なんだか名前が可愛らしいですね(⌒∇⌒)
赤い鳥居が印象的で境内は開放的で天気のせいもあってか
とても清々しい雰囲気でした。

奇麗な拝殿ですね。

こちらは神楽殿です。青空に映えますね。


三の鳥居にかかっていた額で、朝廷から國玉大明神の神号を賜ったときの勅額と言われています。



大きな幟がまた素敵ですね。甲斐=武田信玄公のイメージが強いので風林火山の旗を連想してそれと重ねてしまいます。

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