ほうせんじ|臨済宗妙心寺派|金剛福聚山
法泉寺のお参りの記録一覧
武田勝頼公の菩提寺。甲斐国三十三観音霊場第8番札所、甲斐百八霊場第62番札所でもあります。
お庭には様々な草木が植えられており、とてもきれいでした。開山の武田信武公と武田勝頼公の墓所も残されています。
ご本尊も聖観音菩薩もどちらも本堂に祀られているようでしたが、扉がしまっており、お姿を見ることは叶わず。案内板によると、寺伝ではご本尊は弥勒菩薩と言われているそうなのですが、調査などの結果、現在は釈迦如来像とされているそうです。御朱印も釈迦如来。
お寺のご家族の方から書置きの御朱印を頂きました。通常は御本尊の釈迦牟尼仏の御朱印を出しているそうなのですが、三十三観音巡りで……というお話をさせていただいたところ、聖観音菩薩の御朱印もわざわざ探してくださり、ありがたいことでした。字体を見るとわざわざ書いて下さったような気もします……
そんな理由もあり、御本尊の御朱印の方には両方の札所の印が押されています。
山門
本堂
本堂
経蔵
経蔵の説明
経蔵縁起
武田勝頼公墓所
武田信武公墓所
武田信武公・武田勝頼公墓所 説明
金剛知恵不動尊
金剛知恵不動尊
境内の羅漢像
境内の羅漢像
法泉寺の御案内
【甲府五山:法泉寺】
師走の一日、山梨県甲府市で、武田信玄が鎌倉、京都にならって定めたという五カ所の禅寺(いずれも臨済宗妙心寺派)「甲府五山」を巡りました。
信玄の息子、武田勝頼の廟所があります。お寺の由緒によると、信玄亡き後、勝頼は、長篠の戦いで大敗。以後武田家は衰運に向かい、天正10(1582)年、織田・徳川連合軍に追いつめられた勝頼は天目山(現在の甲州市大和町田野)の地で自刃し、武田家は滅亡しました。勝頼の首は織田信長の命で京都六条河原にさらし首となったのですが、法泉寺三世の快岳禅師が、妙心寺の南化和尚の力を借りて、勝頼の首(歯髪ともいわれているそうです)をもらい受け、持ち帰って手厚く葬ったとのことです。
JR甲府駅から歩けば30分ぐらいでしょうか。最寄りのバス停からでも徒歩15分とのことで、時間の節約のために駅からタクシーで向かいました。おまいり後、武田神社までは徒歩30分でした。武田神社から甲府五山の円光院までは徒歩15分ほどです。
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