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円光院ではいただけません
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円光院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年12月30日(月)
参拝:2019年12月吉日
【甲府五山:円光院】
師走の一日、山梨県甲府市で、武田信玄が鎌倉、京都にならって定めたという五カ所の禅寺(いずれも臨済宗妙心寺派)「甲府五山」を巡りました。
円光院は信玄の妻、三条夫人の菩提寺です。三条夫人について予備知識はなかったのですが、ウイキペディア「三条の方」によると今日、歴史ドラマなどでその姿の描かれ方には、大きな幅があるようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E3%81%AE%E6%96%B9
御朱印は庫裏でいただきました。信玄が肌身離さず持っていたという「刀八毘沙門天像」と「勝軍地蔵像」をデザインしたもののようです。
高台の境内からは、甲府市街と、はるかに南アルプスを望むことができました。武田神社から徒歩で10~15分ほどです。
信玄は死に臨んで、自分の死を3年間秘匿するよう遺言を残したのはよく知られる逸話です。3年後、息子の勝頼が恵林寺(甲州市)で法要を営みますが、その間、信玄の遺灰、遺骨が埋葬されていたという「墓所」が、円光院から少し下った場所にありました。
師走の一日、山梨県甲府市で、武田信玄が鎌倉、京都にならって定めたという五カ所の禅寺(いずれも臨済宗妙心寺派)「甲府五山」を巡りました。
円光院は信玄の妻、三条夫人の菩提寺です。三条夫人について予備知識はなかったのですが、ウイキペディア「三条の方」によると今日、歴史ドラマなどでその姿の描かれ方には、大きな幅があるようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E3%81%AE%E6%96%B9
御朱印は庫裏でいただきました。信玄が肌身離さず持っていたという「刀八毘沙門天像」と「勝軍地蔵像」をデザインしたもののようです。
高台の境内からは、甲府市街と、はるかに南アルプスを望むことができました。武田神社から徒歩で10~15分ほどです。
信玄は死に臨んで、自分の死を3年間秘匿するよう遺言を残したのはよく知られる逸話です。3年後、息子の勝頼が恵林寺(甲州市)で法要を営みますが、その間、信玄の遺灰、遺骨が埋葬されていたという「墓所」が、円光院から少し下った場所にありました。
すてき
投稿者のプロフィール
sendatsu974投稿
転勤で3年間、関西で過ごした際に西国三十三観音を2巡し、東京に戻り坂東三十三観音、秩父三十四観音を巡って百観音を結願しました。寺社を巡っていると、東京の街にも思わぬ発見があります。
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