切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・ご本尊・宗派も検索可能に
宮尾八幡宮の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
---|---|---|---|
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
宮尾八幡宮へ参拝
同じ境内に万倉天満宮と
薬師如来像が祀ってます。
賀茂神社と万倉護国神社の御朱印も
こちらで頂けるそうです。
今回は3社だけ頂きました。
素敵な御朱印
宮尾八幡宮
万倉天満宮
宮尾八幡宮(みやおはちまんぐう)
こちらでは境内社を含む3っの御朱印と
兼務社である 広矛神社・賀茂神社・
万倉護国神社の3社の御朱印が戴けます
(もちろん参拝ありき…^ ^)
素晴らしい書(御朱印)と 素敵な宮司様ご夫婦に
お会いできました 感謝感激!
御祭神
・仲哀天皇(ちゅうあいてんう)第14代天皇
日本武尊(やまとたける)の第2子
名は帯中津日子命(タラシナカツヒメノミコト)
・応神天皇(おうじんてんのう)第15代天皇
仲哀天皇の第4子 母は神功皇后
名は誉田別命(ホムタワケノミコト)
・神功皇后(じんぐこうごう)
名は気長足姫尊(オキナガラタラシヒメノミコト)
仲哀天皇の妃。
宗像三神 合祀
・田心比売命(タゴコロヒメノミコト、タゴリヒメノミコト)
・多岐津比売命(タギツヒメノミコト)
・市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)
由 緒
真暗村別府八幡宮御縁起によると
別府八幡宮と称える当産土神社は
現在地より西北5~6町あまりの所に
別府古宮台という地がありその地に鎮座
その後現在地に遷宮とのことであるが
その遷宮の年暦は詳らかでない
言い伝えによれば神宮皇后の三韓征伐の折
皇后は神元(ジンガ)の里の小高い山の上に
お座りになり 一望を見渡し船の材料として
船木にそびえる大楠木をご要望された
しかし里の人は大楠木の小枝を日々の煮炊きに
利用していたので大変困り思案していたところ
そこに白髪の老人が現れ 里人の生活には
燃える木(石炭)が出土するであろうと
お諭(さと)しになり 里人は喜んでこの大楠木を
献上したといわれる
里人の生活は石炭のおかげで大変豊かになり
この宮尾八幡宮を建立したといわれる
史実によれば1352年(南北朝、大内氏時代)
厚東(コトウ)の城主越後守義武(エチゴノカミヨシタケ)氏が
宇佐より勧請
現在の建物の神殿部分は1816年に
拝殿部分は1876年建造されたものです
又明治40年宗像三神が合祀されています
即ちこの土地の氏神さまです
1991年の19号台風により尾根が損傷しましたが
氏子崇敬者の力により修復されました
宗像神社は天平宝字8年(764)厚東城主
白松太夫物部武綱が筑前の宗像大神宮の
御分霊を奉迎し 現在の宇部市東万倉宗方の
県道横の小高い地に社殿を建立
明治40年まで鎮座 明治の神社合併の折
宮尾八幡宮に合祀されるに至った
件の地図案内 とても分かり易いし
お人柄がうかがわれる素敵な案内図に
なっています^ ^
競馬場拡張之碑
桜並木の横に 宮競馬場が
戦前まであったそうです
三鈷の夫婦松
このように
三つ葉の松なんです❗️
玉垂神社
武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)
長寿の神様
神功皇后を支えた功労者だそうです
万倉天満宮
本殿 万倉天満宮
菅原道真公
相殿 貴船社
祭神 闇淤加美神(くらおかみのかみ)
相殿 顕国玉神(うつしくにたましや)
祭神 大国主命(おおくにぬしこみこと)
扁額 3っ並びます 初めて見たかも…
可愛い神牛^ ^
菅原道真公が丑年生まれの為
天満宮では神牛とされているようです
薬師堂 薬師如来
左手に薬を持ち病気の平癒の仏様
真言
オン コロコロ センダリ
マトウギ ソワカ
万倉薬師瑠璃如来坐像 ガラス越し^ ^
境内入り口に疫神様が鎮座されています
宮尾八幡宮 剛胆無比!
もはやアートですね❣️
万倉天満宮 ひたすら力強い
威風堂々❣️
万倉薬師堂 2つの御朱印とは
雰囲気が違います 変幻自在❣️
宮尾八幡宮の御朱印・御朱印帳の写真一覧(7枚)
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
7
0