御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方明栄寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月23日(月) 21時11分31秒
参拝:2014年4月吉日
「お姫様松」という松の木があります。
古満姫は毛利輝元とは従兄妹の間柄で、小早川秀秋に嫁したが間もなく死別、ついで京都興正寺の門跡に嫁し、五人の子どもをなしたがまた夫と死別、それから十数年の苦労の末に子どもたちが成長すると、輝元より毛利一族として迎えられ、与えられた化粧料一千石の地阿知須に戻り、明栄寺の一室に起居した人です。
古満姫の次男の準円は乱行が多く、母を求めて明栄寺の一室で息を引きとると、その墓のかたわらに一本の松の木を植えて、朝な夕な、このほとりに立ちつくす毎日であったという。
それから歳月は流れて、墓のかたわらの松は枝を張り、準円の墓を優しく覆うように茂り、幹はまた次第に墓石を食い込むように太って、あたかも母親が乳呑子を両腕でしっかりと抱きかかえるようになっていった。それは古満姫の準円を思う悲しい心が、松の魂に乗り移ってしまったかのようだったという。
この松は昭和二十三年(一九四八) の秋、台風で惜しくも枯れてしまい、その切株の中に「世継ぎ松」が植えられ、今ではたくましく成長していて「お姫様松」と呼ばれている。
古満姫は毛利輝元とは従兄妹の間柄で、小早川秀秋に嫁したが間もなく死別、ついで京都興正寺の門跡に嫁し、五人の子どもをなしたがまた夫と死別、それから十数年の苦労の末に子どもたちが成長すると、輝元より毛利一族として迎えられ、与えられた化粧料一千石の地阿知須に戻り、明栄寺の一室に起居した人です。
古満姫の次男の準円は乱行が多く、母を求めて明栄寺の一室で息を引きとると、その墓のかたわらに一本の松の木を植えて、朝な夕な、このほとりに立ちつくす毎日であったという。
それから歳月は流れて、墓のかたわらの松は枝を張り、準円の墓を優しく覆うように茂り、幹はまた次第に墓石を食い込むように太って、あたかも母親が乳呑子を両腕でしっかりと抱きかかえるようになっていった。それは古満姫の準円を思う悲しい心が、松の魂に乗り移ってしまったかのようだったという。
この松は昭和二十三年(一九四八) の秋、台風で惜しくも枯れてしまい、その切株の中に「世継ぎ松」が植えられ、今ではたくましく成長していて「お姫様松」と呼ばれている。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。





