こうざんじ
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功山寺ではいただけません
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功山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月24日(火)
参拝:2022年12月吉日
【長門國 古刹巡り】
功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府川端にある曹洞宗の寺院。山号は金山(きんざん)。本尊は千手観世音。長府毛利家の菩提寺。鎌倉時代建立の仏殿は国宝。中国観音霊場第19番札所。
寺伝によると、鎌倉時代末期の1327年に虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建された。開基は北条時仲と推定されている。なお、仏殿の建立は創建年より早い1320年とされる。1333年に後醍醐天皇の勅願寺となり、1336年には足利尊氏から寺領の寄進を受けるなど朝野の尊崇を受け繁栄した。
室町時代には領主・大内氏の庇護を受け、1476年には大内政弘によって復興されたが、1557年に周防大内氏最後の当主・大内義長が境内で自害したのち一時衰退する。1602年に長府藩主・毛利秀元が金岡用兼を招聘し、曹洞宗の笑山寺として再興した。秀元の死後、1650年に功山寺と改名された。
幕末の1863年、七卿落ちで京を逃れた7人の公卿のうち5人が当寺に滞在。1865年には長州藩士・高杉晋作が当寺で挙兵している(功山寺挙兵:回天義挙)。
当寺は、JR山陽本線・長府駅の南西3kmあまりの小山の東麓にある。入口から軽く登る境内は広く、伽藍としては山門、本堂、そして国宝の仏殿がある。仏殿の奥に長府藩毛利家などの墓所があるが、墓所を除くと見て廻るエリアはさほど広くはない。やはりなんといっても見どころは国宝の仏殿。落ち着いた暗い色合いの躯体と、美しい屋根の反りが良い。
今回は、仏殿が国宝であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外にも夫婦や家族連れなどの参拝者が訪れていた。
境内東端入口の<総門>。
総門には「海右大一峯」と書かれた扁額が掛かる。
参道を進んで左側にある<地蔵堂>。平安末期作とも言われる樟材一本式寄木造りの地蔵像が安置されている。8月24日の地蔵盆の時だけ開帳されるとのこと。
参道の先にある<山門(三門)>。江戸時代中期の1773年、長府藩10代藩主・毛利匡芳による建立。三間三戸二重門で、二階楼上には二十八部衆立像が安置されている。
<山門>をくぐる。向こうにお目当ての仏殿がうっすら見える。
山門の先にある<仏殿>。鎌倉時代末期の1320年建立。桁行三間、梁間三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺。国宝。
<仏殿>正面。
<仏殿>内部。
仏殿の右手に建つ<法堂>。
<法堂>正面。上部の扁額には「選佛場」の文字。
法堂と向かい合って建つ<輪蔵>。江戸時代中期の1799年、長府藩11代藩主・毛利元義により、藩祖・秀元公百五十回忌のくようとして建立。方三間、宝型造。
輪蔵の左手に建つ<鐘楼>。
鐘楼の近くにある<高杉晋作回天義挙の像>。
本堂前にある<水屋>。この後ろに<授与所>がある。御朱印はそちら。
仏殿と法堂の間と通って、奥に行ってみる。
奥には<毛利家墓所>がある。他にも<長府藩士・三吉慎蔵墓所>、<大内義長公の墓>がある。
山門の南側にある<長府博物館(旧長門尊攘堂)>。
長府博物館の南側にある<万骨塔>。
最後にもう一度、国宝の<仏殿>。700年前の鎌倉時代の建物と思うと感動もの。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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