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明学院ではいただけません
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明学院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月23日(木)
参拝:2023年8月吉日
山形県最上郡最上町に境内を構える慈雲山 明学院、最上三十三観音霊場の一つ、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は慈雲山、寺号、院号は明学院、宗派は天台宗、御本尊は慈覚大師 御作の十一面観世音菩薩、最上三十三観音霊場、第三十二番札所、出羽百観音の一つ、この地方一帯が見渡す限り泥海のようであったが、最上川流域の開拓に従って原野となり、部落が作られていった。その未開の頃に伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、狩りや漁をして生活していた。ある日、安芸の国の人で田沢内之助と諸国行脚の折り、知り合いになり、三人で相談して、原野を開墾して耕地にすることにした。泥水の退いた後は、広い土地で地味も豊かであったが、住む人は少なく、また自分で進んで開拓に当たろうとする者もなかった。三郎と内匠之助はたとえ自分たちだけでも目的を達しようと、仕事を進めていった。ある朝、二人で土地を検分しているとき、草むらの中から一羽の白鷺が飛び立った。びっくりしてその辺を探してみると、観音像が立っているではないか。大切に家に持ち帰り安置した。また、尊像のあった所のあとは、自然に泥がとけて苗代のようになり、試みに稲を植えたところ、見事に生育していった。二人は、観音像の功徳であると一層信仰を深めた。付近の人々もその徳を慕って集まってきた。内匠之助も一家中を故郷から呼び寄せ、開拓に精を出した。この辺一帯は、肥料を用いなくとも毎年豊作が続いたため、人々は観音の広大無辺なご利益に感謝した、
太郎田は初めて種を播いたところで、次郎田は次に開田したところであるといわれ、字名も太郎田前、北太郎田等現在も残っている
太郎田は初めて種を播いたところで、次郎田は次に開田したところであるといわれ、字名も太郎田前、北太郎田等現在も残っている
すてき
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