浪高山 東善院 光清寺のお参りの記録一覧
山形県最上郡最上町富澤に境内を構える浪高山 東善院光清寺、最上三十三観音の一つ、最上三十三観音霊場の中でも威厳に満ちた寺院で、境内、御堂、木々見所満載の寺院です、天然記念物指定のトチノキはパワースポットとしても有名、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は浪高山、寺号、院号は東善院光清寺、宗派は天台宗、御本尊は慈覚大師 御作の馬頭観世音菩薩、最上三十三観音霊場、第三十一番札所、出羽百観音の一つ、清和天皇の貞観五年(863)、慈覚大師東北行化の途次、この地に来り形勝の地なるによって補陀落山と名づけられ、ことに駿足の馬匹各所に放牧する様を観て、産馬に適し民の生業を利益するなりと、自ら座像の馬頭観音を彫刻し、精舎を建立して安置、地方民を信仰に生かしむると共に大いに産馬繁殖を奨励された。これが当観音の始まりである。後、小栗判官正清が横山の奸計に陥り、楠の馬場で鬼鹿毛の馬に乗せられたが、幸いに乗り回し危難を免れたのは日頃念ずる観音の功徳によるとその楠を以て観世音を刻み、これを良馬の産地に祀って後世駿足の名馬を産せんことを祈らんとし、その臣、小太郎に命す。小太郎尊像を背負い各地を訪ねて当地に来たり、当初は馬匹の守護仏であり、その上、小国と小栗は国音相近しと喜び、古来名馬の産地なれば主命を果たす好適地として携え来った。観世音を納めて立ち去った。これが御厨子外の御前仏である。本観音は時の地頭領主の尊信が篤く、小国日向守時代(1580)は祈祷料の奉納があり、其の後新庄藩主戸沢家で代々寺領十二石を寄進し、その代替りには必ず格式行列で参向した。観音堂は往古現在の所に在り、中古小国家繁昌の頃、赤倉川向の檀の沢に移り、寛政九年戸沢能登守政親の再建によって再び現在地に移建された。万延元年(1860)、当町志茂の百姓与平が観音に祈願をこめて得た千里の駿馬は、戸沢家に買い上げられ「梅ヶ枝」と呼び主君の愛用深く、江戸大火に際し藩主に急用を命じ、馬術師範入江源蔵具信に命じ、稀代の名馬梅ヶ枝に乗らせ江戸に上らす。新庄より一昼夜を通して江戸屋敷に到着したので藩を上げて賞讃したと言う。
本観音(富山馬頭観世音)は、東北三大馬頭観音の一つで、県内外から多くの参詣者が訪れる。春秋の二回大祭が修され、畜産繁栄、蓄霊供養とともに身体健康、交通安全、厄除けの観音として信仰を集めている
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