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青岸渡寺ではいただけません
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青岸渡寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月22日(日)
参拝:2024年9月吉日
青岸渡寺様は仏教伝来以前の四世紀にインドから熊野に漂着した裸形上人が那智の滝で修行中に滝壷から八寸の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられています。
その後、7世紀頃に大和国から生仏という僧が来て、約3メートルの如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて御本尊とし、正式に本堂が建立されたそうです。
御本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂とされました。
現在は熊野那智大社様という御社様と青岸渡寺様という御寺様が軒を並べていますが、以前は神社と寺院とに分離できるようなものではなく、神と仏は渾然一体としていたそうです。
しかし、明治の神仏分離令により仏道や修験道が切り捨てられ如意輪堂は空堂となってしまいました。
その僅か数年後、山内外の人々の願いが叶い那智大社様から独立、天台宗の寺院「青渡岸寺」として復興され現在に至られています。
やはり境内から那智の滝が見えるのは特別感が違いますね(^^♪
その後、7世紀頃に大和国から生仏という僧が来て、約3メートルの如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて御本尊とし、正式に本堂が建立されたそうです。
御本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂とされました。
現在は熊野那智大社様という御社様と青岸渡寺様という御寺様が軒を並べていますが、以前は神社と寺院とに分離できるようなものではなく、神と仏は渾然一体としていたそうです。
しかし、明治の神仏分離令により仏道や修験道が切り捨てられ如意輪堂は空堂となってしまいました。
その僅か数年後、山内外の人々の願いが叶い那智大社様から独立、天台宗の寺院「青渡岸寺」として復興され現在に至られています。
やはり境内から那智の滝が見えるのは特別感が違いますね(^^♪
すてき
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れん太郎407投稿
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