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みやはらじんじゃ

宮原神社の御由緒・歴史
和歌山県 紀伊宮原駅

ご祭神誉田別尊(応神天皇)
気長足姫尊(神功皇后)
多紀理姫尊
多岐都姫尊
市杵島姫尊
創建時代弘仁七年(816年)
ご由緒

当宮八幡大神は五十二代嵯峨天皇の御宇、弘仁七年丙申年(816年)の草創で宇佐神宮より勧請されました。「文徳照臨の尊神として武運監護の霊祠なり」と古から云われ、国家鎮護、武運、学問、安産の神様として尊崇祭祀されてきました。その頃の神領は宮山の下、宮の前一帯に四十数町歩を領し、宮殿八宇山囲んで壮厳をきわめたと伝えられています。

その後、平安時代後期の源平の争乱により社殿が荒廃し、1284年(鎌倉時代)に由良の興国寺開山法燈国師が再開眼の供養を執り行っております。また、室町時代には源常久(1441年)、源順家(1516年)、萬徳丸・ 源某ら(1546年)など地方の豪族達が社殿の修理・寄 進をしています。

また、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻めによって、縁起巻物や神領証文など多数没収され、再び荒廃しましたが、村人の寄進等により社殿が復興されています。

以来、紀州藩主・徳川頼宣公(1619年)代々崇敬厚く、熊野参詣の折にはたびたび当社に参拝され、道中の安全祈願が執り行われたと伝えられています。
また、1677年には紀州藩家老・若狭守源令綱(藩主徳川頼宣、光貞に仕える)より、三十六歌仙扁額が奉納されています。

明治二十八年に宮原神社と改め、同四十三年に宮原町内の末社・二十社が合祀されています。

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