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2026年02月06日(金) 09時22分 byInsidious
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すだ八幡
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すだのはちまんさん
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「神功皇后が外征後、御帰朝の際、筑紫を発し、紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、輦をこの地に駐め滞留なさせ給いし旧跡にして、欽明天皇の詔により貞観年間(西暦859~877年)に八幡宮が勧請された。のちにこの地が石清水八幡宮の社領となり、当神社を『隅田の別宮』と称した。 長治二年(西暦1105年)隅田荘内の豪族で隅田党(隅田一族)の祖・長(のちの藤原・隅田)忠延が当神社の社務を司る俗別当職(ぞくべっとうしき)となり、次いで隅田荘の荘官である公文職(くもんしき)にも任じられた。その後代々両職に任じられ、鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も備わり、祭式を厳かにして栄えた。 永禄三年(西暦1560年)松永弾正久秀の攻略によって社殿が焼失、慶長年間に再建され、江戸時代になると隅田荘十六か村の産土神として繁栄し、紀州藩主徳川氏が累代厚く崇敬した。社殿は、文政二年(西暦1819年)焼失するが、同五年には再建される。今も壮麗で往古を偲ぶことができる。 明治時代の神仏分離で当神社の神宮寺の大高能寺が分離され、大正五年県社になる。
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https://sudahachimanjinjya.org/
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JR和歌山線『隅田駅』より徒歩17分 京奈和自動車道『橋本東』出口より車で3分
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貞観年間(西暦859~877年)
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流造
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旧県社
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1月14日 - 火焚(どんど)神事 1月15日 - 粥占神事 10月第2月曜日(体育の日)の前の土曜日、日曜日 - 秋祭
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人物画象鏡(国宝) 隅田文書 37点、隅田八幡神社経塚出土品 一括(和歌山県指定有形文化財) 隅田八幡神社経塚(和歌山県指定史跡) 隅田八幡神社の秋祭(和歌山県指定無形民俗文化財) 隅田八幡神社管祭(橋本市指定無形民俗文化財)
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