ふげんいん|高野山真言宗|高野山
普賢院のお参りの記録一覧
大治年間(1126年~1131年)覚王親王が高野山を訪れた際、力乗上人から念持仏の普賢菩薩を授けられ普賢王院と称したことが始まりと伝わる。
1888年の火災で本堂を焼失したが、高野山東照宮の拝殿を移築して再建された。
四脚門は寛永年間(1624年~1643年)に東照宮の門として建築されたものを移築したもので重文指定されている。
本堂
摩尼殿
四脚門
四脚門
四脚門
四脚門
楼門
#普賢院
ご本尊は普賢菩薩。
#普賢菩薩
モンジュ菩薩が智慧を司るのに対し、普賢菩薩は慈悲のボサツ。また、女性でも往生できると説く法華経のパトロンとして、特に女性からの信仰が篤かったそうだ。数ある仏様の中でも特に優しいイメージがある。
だが意外なことに、彼には鬼神との絡みがけっこう多い。
第一に、鬼子母神と十ラセツ女は彼の眷属らしい。
それから金剛サッタ菩薩の存在。ここ普賢院の摩尼殿のご本尊でもある。HPによれば、普賢菩薩は金剛サッタ菩薩の前身の1つであり、同体でもあると。
金剛サッタ菩薩には金剛手菩薩という別名があるが、これは「金剛杵を手に持つ者」という意味で、語義的に執金剛神、すなわち金剛力士と同一だ。
大法輪閣編集部編で出ている本にも、普賢菩薩と、金剛力士を前身とする金剛手菩薩が習合したのが金剛サッタ菩薩とある。そして、金剛力士は夜叉であり、金剛サッタ菩薩もその血を引いているからこそ、時には降三世明王となってその力を振るうのだと続ける。
鬼子母神にせよ十ラセツ女にせよ金剛力士にせよ、現在は護法善神であり、悪者ではない。彼らと関係が深いからといって「だから何か?」という話ではある。
それはそうと、普賢菩薩の種子は通常アンだが、写真の御朱印の梵字はウーン。金剛サッタ菩薩や降三世明王の種子だ。この点は興味を引く。
和歌山県のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
9
0