こうみょうじ
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楽しみ方光明院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月30日(火) 16時14分26秒
参拝:2026年6月吉日
惠光院様から西へ向かうと南へ向かう道があります。
その道を歩いて行くと光明院様が見えて来ます。
御本尊は阿弥陀如来をお祀りされています。
光明院様は1183年に大進法橋行清上人が建てた
「長吏庵」という草庵が始まりと伝わります。
行清上人は後白河法皇の皇子である円恵法親王の
弟子にあたる僧侶です。
1183年には平氏を京から追い払った木曽義仲と
後白河法皇の対立が激化します。そして義仲の軍勢が
京の法住寺殿を襲撃した法住寺合戦がおこります。
行清上人の師の円恵法親王はこの戦乱に巻き込まれて
亡くなります。
大乱戦の最中に行清上人は円惠法親王の御遺骸を
引揚げ高野山へと向かいました。そして師を弔う為に
建てたのが「長吏庵」です。この名は円惠法親王が
三井寺様の三井長吏という最高責任者の位にあった
ことに因んだそうです。
1352年には法如阿闍梨という僧侶が寺領を広げ
「光明院」へと改名されました。
京に近い天台宗の三井寺様や延暦寺様ではなく
京から離れている真言宗 高野山へといういう選択は
現実的だと思います。平安時代の末期から他宗派でも
受け入れてきた高野山の聖域としての懐の深さを
感じる話です。
その道を歩いて行くと光明院様が見えて来ます。
御本尊は阿弥陀如来をお祀りされています。
光明院様は1183年に大進法橋行清上人が建てた
「長吏庵」という草庵が始まりと伝わります。
行清上人は後白河法皇の皇子である円恵法親王の
弟子にあたる僧侶です。
1183年には平氏を京から追い払った木曽義仲と
後白河法皇の対立が激化します。そして義仲の軍勢が
京の法住寺殿を襲撃した法住寺合戦がおこります。
行清上人の師の円恵法親王はこの戦乱に巻き込まれて
亡くなります。
大乱戦の最中に行清上人は円惠法親王の御遺骸を
引揚げ高野山へと向かいました。そして師を弔う為に
建てたのが「長吏庵」です。この名は円惠法親王が
三井寺様の三井長吏という最高責任者の位にあった
ことに因んだそうです。
1352年には法如阿闍梨という僧侶が寺領を広げ
「光明院」へと改名されました。
京に近い天台宗の三井寺様や延暦寺様ではなく
京から離れている真言宗 高野山へといういう選択は
現実的だと思います。平安時代の末期から他宗派でも
受け入れてきた高野山の聖域としての懐の深さを
感じる話です。
すてき
投稿者のプロフィール
れん太郎1935投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
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