おうそじ|高野山真言宗
應其寺の編集履歴
ご由緒
應其上人は、天正十三年(1585)近隣の里人をあつめ古佐田村の荒地を開き、家を建て町を造り高野従還の宿所とした。翌々年、上人はここに草庵を建てて住み、紀ノ川に長さ130間(約235m)の橋をかけ交通の便をはかった。橋本の地名はここから起こったのであり、この草庵は現在中興山普門院應其寺となっている。
上人はまた豊臣秀吉からこの地に二十七石五斗五升の永代免許を与えられ、塩市売買の免許をゆるされ、恵比寿神を勧請し、或は処々に池を築き堤を造り、救世済民に力を尽くした。隅田の岩倉池にある五輪塔や、清水南馬場の平谷池にある板碑には上人の名が刻まれている。町民はその徳に感じ上人の像を寄進して祀っている。
このようにして近世橋本町の基礎が確立したのである。應其上人三百八十年忌を記念し、この地に供養塔を建立し、橋本開基の上人の道徳を讃えるものである。 昭和六十三年十一月九日(旧暦十月一日)建之
編集前:應其上人は、天正十三年(1585)近隣の里人をあつめ古佐田村の荒地を開き、家を建て町を造り高野従還の宿所とした。翌々年、上人はここに草庵を建てて住み、紀ノ川に長さ130間(約235m)の橋をかけ交通の便をはかった。橋本の地名はここから起こったのであり、この草庵は現在中興山普門院應其寺となっている。
上人はまた豊臣秀吉からこの地に二十七石五斗五升の永代免許を与えられ、塩市売買の免許をゆるされ、恵比寿神を勧請し、或は処々に池を築き堤を造り、救世済民に力を尽くした。隅田の岩倉池にある五輪塔や、清水南馬場の平谷池にある板碑には上人の名が刻まれている。町民はその徳に感じ上人の像を寄進して祀っている。
このようにして近世橋本町の基礎が確立したのである。應其上人三百八十年忌を記念し、この地に供養塔を建立し、橋本開基の上人の道徳を讃えるものである。 昭和六十三年十一月九日(旧暦十月一日)建之
アクセス
JR、南海橋本駅より徒歩5分
駐車場
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