浄土宗
大仏寺のお参りの記録一覧
急遽義母が連れて行ってくれました🚙💨
昼くらいに着き、駐車場が運良く1台分空いてましたε-(´∀`*)ホッ
高岡大仏が最初に建立された1221年前後には既に大仏を祀る寺院が存在しました。
高岡大仏が現在の位置に移転した1609年前後に創建されたと考えられています。
度重なる火災で一時は荒廃してしまいましたが、1745年、極楽寺の第15代住職である等誉上人と、その弟子である良歓により中興されました。
住職は不在で、代わりに他の方が立っていました。
御朱印は300円でした。
過去参拝記録(令和6年6月)
鋳物の街高岡ですから高岡大仏を拝見しようと2度目の参拝をさせていただきました。
御朱印は書き置きでした。
仁王像 参道
手水
台座(回廊)入り口
回廊内
ご本尊 阿弥陀三尊蔵
馬頭観音
時鐘(高岡市指定文化財)
高岡市大手町の浄土宗“高岡大仏”大仏寺卍
以前の参拝時にいただけなかった御朱印を書置きにて🖌️
駐車場へは大仏さんの背後から一方通行を🚙💨
右の進入禁止⛔道路沿いに駐車場🅿
寺務所開いてた
イケメンさん
【鳳徳山(ほうとくさん)大佛寺(だいぶつじ)】
本尊:-
宗派:浄土宗
開基:不詳
大佛寺の創建年や開基については不詳だが、高岡大仏が最初に建立された1221(承久3)年前後には既に大仏を祀る寺院が存在したか、高岡大仏が現在の位置に移転した1609(慶長14)年前後に創建されたと考えられている。高岡大仏は大佛寺にある銅製阿弥陀如来座像。奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏を称している。大仏の台座の内部には回廊があり、仏画などが展示されているほか、中央の部屋には1900(明治33)年に高岡大火により焼失した木造大仏の頭部が鎮座する。現在の大仏は、高岡銅器の職人の協力のもと1933(昭和8)年に完成、開眼供養が行われている。
能登半島地震復興支援の任務(1週間)を終え参拝、1日も早い復興を祈念しました。
【高岡大仏】
【仁王 阿形像】
【仁王 吽形像】
【高岡大仏】
【高岡大仏】
【高岡大仏】
【高岡大仏】
【高岡大仏】
【高岡大仏】
【高岡大仏台座の内部】
【高岡大仏台座の内部】
【高岡大仏台座の内部】
金剛光菩薩。
【高岡大仏台座の内部】
愛染明王。
【高岡大仏台座の内部】
高岡大火により焼失した木造大仏の頭部。
【高岡大仏台座の内部】
高岡大火により焼失した木造大仏の頭部。
【観音像】
【本堂】
【本堂扁額】
【鐘楼】
【梵鐘】
【手水舎の龍】
【手水舎の龍】
【高岡大仏】
【高岡大仏諸元】
【御朱印】
7年7ヶ月ぶりで、高岡大仏におまいりに行きました。
前回来たときは御朱印をいただいていないので、初御朱印です。
直書きしていただきました。初穂料は300
[高岡御朱印巡り3]
日本一のイケメン大仏様、美しく微笑んでいらっしゃいます。
街中で存在感ありますね☘️
参道の入り口には青銅製の仁王様が☘️
こちらもかなりの存在感!素敵!
大仏が鎮座する台座の内部にはいれます。
中の回廊の壁面には地獄絵などの仏画が展示されていて、ちょっと怖い感じ😔
1900年の大火で類焼した2代目高岡大仏の焼け残りとされる頭部が安置されていました。
静かに手を合わせました🙏
帰りにはすごく気になっていた参道の大仏焼、美味しく頂きました😋
1907年より26年の歳月をかけて完成したもので、高さ16mの青銅製阿弥陀如来坐像「高岡大仏」
小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏です。
およそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことがはじまりだといわれています。
高岡大仏の特徴である「円光背」には、阿弥陀仏の仏徳を一字で表現する梵字「キリーク」が頂点に配されています。
美しい顔のイケメン大仏様
参道の入り口には仁王様が迎えてくれました。
手水の龍🐲の顔がコケテッシュです💕
大仏様の台座に入ってお参りです🙏
地元のボランティアの方々大仏様の説明をしてくれました♪
本堂🙏
大仏様から参道を見て。
ベンチもあり寛げます。
右手入口に大仏焼の屋台が❣️
ちょっと分かりにくいですよね😅
大仏様です😊
御朱印
【越中國 古刹巡り】(過去の参拝記録)
大佛寺(だいぶつじ)は、富山県高岡市大手町にある浄土宗の寺院。山号は鳳徳山(ほうとくさん)。阿弥陀如来坐像は「高岡大仏」として知られ、奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏と称している。
創建は鎌倉時代の1221年、承久の乱を避けて越中国に来た源義勝が、二上山に木造大仏を建立したことに始まる。江戸時代初期の1609年に前田利長による高岡開町に合わせて、大仏を城下に移転、のちに焼失。1745年坂下町の極楽寺住職・等誉上人により金色の木造大仏が再建されたが1821年に再び焼失。1841年に大仏が再建されるも、1900年の高岡大火で再々度焼失した。このため火に強い大仏の再建が望まれ、1907年に松木宗左衛門が発願、高岡銅器の職人が協力し、1932年に現在の「銅造阿弥陀坐像」が完成。「高岡大仏」として親しまれるようになり、現在では高岡市の観光名所の一つとなっている。
当寺は、JR氷見線・城端線・あいの風とやま鉄道・高岡駅の北方500mの平地の市街地にある。街の一区画の境内は縦に長いため参道はそこそこ距離があるが、横幅はなくコンパクト。境内北西端の入口を入ると、しばらくは街の公園のような雰囲気。境内南東端に本堂と高岡大仏博物館があり、博物館の上に高さ約16mの大仏が鎮座している。
今回は、旅行情報サイト・4travelで人気の寺院ということから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、人気の観光スポットらしく、割と多くの観光客が訪れていた。
境内北端入口全景。境内は低い植栽に囲われているため、公園のような入りやすい雰囲気。
参道左側の露坐の<吽形仁王像>。現代的で細身でスマート。
参道左側の露坐の<阿形仁王像>。細マッチョなスタイル。
参道進んで、左側の露坐の<観音像>。
参道右側の<鐘楼>。
鐘楼の<梵鐘>。
参道左側の仏像群。中央の石仏には「高岡新西国三十三観音札所 二十九番馬頭観音」と書かれた表札が。
参道のやや左前方にある<本堂>正面。この右手に納経所がある。御朱印はこちら。
本堂前から<大仏>を望む。説明板によると、この高岡大仏は日本三大大仏の一つで、奈良、鎌倉と並ぶとしている。それにしては、やや控えめかな。(^_^;)
<大仏>を下から見上げる。そんなに大きくなさそうではあるが、総高15.85m・座高7.43m・総重量65トン。「鋳物の町・高岡」の威信を掛けて製作されたと聞けばありがたく感じる。
大仏の土台部分は「高岡大仏博物館」となっている。拝観無料。
高岡大仏博物館の<なで佛(賓頭盧尊者)>。
高岡大仏博物館の<法然上人像>。
最後に、明治の女流詩人・与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男子」と評した高岡大仏の御尊顔。(^▽^)/
高岡大仏は、富山県高岡市大手町の鳳徳山大仏寺にある、高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像です。
町並みの中に突如現れる巨大な仏像は、背にそびえる「円光背」が特徴的な青銅製仏像で、1933年(昭和8年)に再建を果たした三代目にあたります。初代、二代目の木製大仏が大火で類焼した歴史から、焼失を三たび繰り返すまいとの思が込められており、大仏再建を切望する市民の寄進と情熱、「鋳物の町高岡」が脈々と受け継いだ鋳造技術の粋が結集して造立されました。
奈良・鎌倉の大仏と並び「日本三大仏」とも称されており、高岡のシンボルでもあるその存在は、市民から「だいぶっつぁん」と、親しみと敬意を込めて呼ばれています。
鳳徳山大仏寺。16mのイケメン大仏さま。大仏寺のご本尊は阿弥陀三尊像。二度の大火にあい、現在3代目だそう。
大仏寺
阿弥陀三尊像。
身長7m43cm
大仏さまの中。
大仏さまの下は仏画や仏教美術画が飾られています。これは、地獄絵。
美女と髑髏。
阿弥陀三尊像。
聖徳太子。
大仏焼き。
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