あさいじんじゃ
淺井神社富山県 西高岡駅
参拝自由
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楽しみ方
越中国礪波郡の式内論社です。すぐ西側に流れる暴れ川の小矢部川を鎮めるために創建され、水の神である罔象女神さまを祀ります。鎮座地はかつて旧北陸道に繋がる交通の要衝であったため、小矢部川の氾濫によって交通面がストップしてしまうのを懸念されて祀られたことが窺えます。
《鳥居と社号碑》
《表参道》
《顕彰碑》
《桜の木》
富山はこの時期が見頃か散り始めだったようで、割とちらほら桜が見られます。
《手水舎》
水は枯れています。
《両側の杉の木》
同じく論社とされる赤丸の浅井神社が見事な杉の木の参道を持っており、暴れ川とはいえ豊富な水が供給されていたからこそ大きく育った木々が存在感を持ちます。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社と共に論社に挙げられている赤丸の浅井神社とはたった300mしか離れておらず、その近すぎる距離からどちらが式内・浅井神社であったかの論争は決着がつかないままです。しかしその各鎮座地は小矢部川に流れる支流を挟んだ東西にあり、川を挟んで区切られた地区それぞれに分祠があり、双方から暴れ川の鎮静を期待されていたのだろうというのが窺えますね。
《本殿》
《授与所》
普段は無人のようです。神主さんは月野谷におられ、そちらで御朱印をいただけるようです。神主さんの同行はFaceBookにて確認できます。
養老元年(717年)創建と伝えられる、延喜式内(えんぎしきない)の古社である。小矢部川の氾濫(はんらん)を防ぎ、灌漑(かんがい)農耕(のうこう)の守護神として石堤を築造し、社殿を造営奉斉したので、川端の宮とも称した。越中国礪波郡にあった東大寺の所領地を描いた『東大寺越中国官地施入田地図』に「浅井之神の神領地一段」とある。
興国3年(1342年)、越中国木舟城主・石黒重之は、大原真守の太刀を献じ、吉野朝復興の祈願をした。宗良親王は後院荘(五位荘・ごいんのしょう)に御滞留(たいりゅう)の折に御参拝せられた。
明和元年(1764年)に御神体は一時、月野谷(つきのや)村・見多気神社に借座(しゃくざ)あらせられたが、文久三年境内末社の神明宮に帰座(きざ)。後に本殿へ帰還せられた。
安永6年(1773年)6月以降、数次にわたり金沢藩命により祈雨・祈晴・五穀豊穣・百姓安堵の祭典を執行した。
明治41年(1908年)12月より五院荘五十三ケ村総鎮守で春秋の祭典には初穂米を献上された。
古神事としては防火防難延命寿福を祈願する 「ひさご祭」、風雨寒暑を卜占する 「おはれみ祭」、報賽を主とする 「千石百貫祭」などがあった。












| 名称 | 淺井神社 |
|---|---|
| 読み方 | あさいじんじゃ |
| 通称 | 浅井神社、川端の宮 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 電話番号 | 0766-31-0985(宮司宅) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www3.ic-net.or.jp/~asaijinjya/ |
| SNS |
| ご祭神 | 罔象女神 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 養老元年(717年) |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 神明造 |
| ご由緒 | 養老元年(717年)創建と伝えられる、延喜式内(えんぎしきない)の古社である。小矢部川の氾濫(はんらん)を防ぎ、灌漑(かんがい)農耕(のうこう)の守護神として石堤を築造し、社殿を造営奉斉したので、川端の宮とも称した。越中国礪波郡にあった東大寺の所領地を描いた『東大寺越中国官地施入田地図』に「浅井之神の神領地一段」とある。
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| 体験 | 祈祷御朱印祭り伝説 |
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