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井波別院瑞泉寺ではいただけません
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井波別院瑞泉寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月10日(火)
参拝:2021年11月吉日
【越中國 古刹巡り】(過去の参拝記録)
瑞泉寺(ずいせんじ)は、富山県南栃市井波にある真宗大谷派の別院の寺院。山号は杉谷山。本尊は阿弥陀如来。別名は「井波別院」。
南北朝時代の1390年に浄土真宗本願寺派第5世宗主・真宗大谷派第5代門主であった綽如(しゃくにょ)上人により創建。戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、1581年に織田信長の北陸方面軍・佐々成政の軍勢と戦い、堂宇を焼失した。1602年には本願寺の分立により「准如を十二世法主とする本願寺教団」に属するが、1649年には「教如を十二世法主とする本願寺教団」に転派した。明治時代の1879年に火災で山門以外の主要伽藍を焼失したが、1885年に本堂、1918年に太子堂が再建された。
当寺は、JR城端線・福野駅の南東6kmの緩やかな傾斜地にある。周囲は、おそらく当寺の門前町になっていて、石畳の古い街並みの中に旅館や土産物店が散在している。当寺の境内はかなり広く、伽藍の各建物、開山堂、本堂、庫裏、山門のいずれもが非常に大きくインパクトがある。ゆっくりと内部拝観をすれば、古刹の味わいを堪能できる。
今回は、『日本の古寺100選 国宝巡りガイド』(宝島社新書)に掲載されていることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、我々以外にも数組参拝者を見掛けた。
境内北西端入口の<寺号標>。
境内に入ってすぐの<山門>。1809年の再建。高さ17.4m、重層の総ケヤキ造り。
真宗寺院建築の山門形式を代表する建物とされる。写真左側に「後小松天皇勅願所」の碑がある。
真宗寺院建築の山門形式を代表する建物とされる。写真左側に「後小松天皇勅願所」の碑がある。
<山門>の1階部分。
<山門>をくぐる。入口の上部にあるのが「昇竜伝説」のある龍の彫刻「雲水一匹龍」。
山門再建時の1809年、井波彫刻の祖・前川三四郎の手によるもので、1879年の本堂火災時にこの龍が井戸から水を吹き上げ、山門への延焼を食い止めたという伝説がある。
山門再建時の1809年、井波彫刻の祖・前川三四郎の手によるもので、1879年の本堂火災時にこの龍が井戸から水を吹き上げ、山門への延焼を食い止めたという伝説がある。
山門をくぐると、正面遠くに見える<本堂>。
本堂までの間にある<水屋>。
本堂までの間にある<青銅燈籠>。
本堂までの間にある<井戸>。「雲水一匹龍」による「昇龍の松」の伝説の井戸はこちら。
本堂までの間にある<弘法大師像>。被せてあるのは雪囲いかな?越冬準備完了みたい。
<本堂>正面。
本堂に向かって右手にある<庫裏>。御朱印はこちら。庫裏スタートで内部拝観ができる。
<庫裏>内部。レトロ感満点の趣のある建物。
本堂の左手にある<太子堂>への廊下。
太子堂から<本堂>を望む。
<太子堂>の正面。聖徳太子南無仏像を安置。
太子堂の軒の内側(手挟)の彫刻。左側が「桐に鳳凰」、右側が「波に龍」。非常に美しい。
<象の彫刻>のアップ。
太子堂のさらに左手の高台にある<宝物殿>。
境内の北東端にある<後小松天皇頌徳碑>。
境内北部にある<鐘楼>。
<山門>を境内内側から見た眺め。細部まで非常に美しいので、以下でじっくりと眺めてみる。
<山門>の門。
<山門>の門の彫刻アップ。
<山門>の1階部分上部の蟇股に「八仙」が彫られているというので探してみる。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」②。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」③。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」④。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」⑤。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」⑥。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」⑦。
<山門>の1階部分上部蟇股の彫刻「八仙」⑧。
合っているか自信はないけど、これで「八仙」をコンプかな?(^_^;)
合っているか自信はないけど、これで「八仙」をコンプかな?(^_^;)
山門の右手にある唐破風造りの<式台門>。勅使参向の際に出入りに使われたことから、別名は「勅使門」、「菊の門」。1792年の再建。気品があり美しい建造物。(^▽^)/
すてき
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