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にちれんしゅう りしょうじ|日蓮宗長徳山

日蓮宗 利生寺の御由緒・歴史
公式富山県 広貫堂前駅

歴史詳細情報

利生寺について

  富山藩前田家歴代の祈願所(安産・子育)として寺領四百石並びに丁字梅鉢の定紋を拝領されたことが始まりです。身延山直末寺院となっています。現住職は奠師法縁の師弟関係です。開山以来、利生院と呼ばれていましたが、終戦後、利生寺と改称しました。堂内に安置の子安鬼子母神(再調)及び弁財天(焼失)は藩主の命により城下の大仏師次郎兵衛の勤作名品で、二百数十年来前田藩及び領民の安産と子育ての守護神として参詣者が多く集まりました。また、現在安置の子安鬼子母神(住吉宗雲作)は昭和三十二年に再調したものになります。堂内に安置の愛敬稲荷善神は当山13世研正院日心上人の姪である新川スズ氏が感得し、日心上人が開眼されました。「衆人愛敬」〔法華経‐観世音菩薩普門品〕の経文の如く、多くの人を集め敬われ愛されることを願い、客商売を生業とする方々をはじめ、特に戦前から戦後直ぐにかけては水商売や遊女という、人気商売の方々の参詣が多くありました。の本堂庫裏等は空襲で焼失、昭和四十二年に再建立する。十六世先代住職、十六世先代坊守、十七世現住職、副住職が日蓮宗霊断師であり、九識霊断法による霊断布教を中心とした布教活動をしています。  

編集:長徳山利生寺公式
最終更新: 2021年10月16日(土)

目次

ご本尊大曼茶羅
創建時代1705年(宝永二年)
開山・開基開山は驚夢院日帰大徳、開基檀越は富山藩二代目前田正甫公
ご由緒

歴史の項目を参照ください

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