しとりじんじゃ
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楽しみ方倭文神社のお参りの記録(1回目)

法勝寺川沿いにピンが置かれていますがGoogleマップには登録がなく、探すのに苦労しました。めっちゃこじんまりと。

ちなみにこちらに登録されているピンの位置で鎮座地は合ってました。登録した人凄い。

👁チェックポイント‼️
上述のとおり倭文氏は織物の縫製技術を大陸から日本に伝えてきた一族として、国への貢献を以て大きな力を示していました。朝廷などの政界には進出してきませんでしたが、地方にてその技術の伝達を第一としてきたため、『延喜式』神名帳においても「倭文神社」は伯耆×2(河村郡/久米郡)、因幡(高草郡)、但馬(朝来郡)、丹後×2(加佐郡/与謝郡)、大和(葛下郡)、近江(滋賀郡)、伊勢(鈴鹿郡)、駿河(富士郡)、甲斐(巨麻郡)、上野(那波郡)、伊豆(田方郡)、常陸(久慈郡/静神社が該当)にあったとされかなり広範囲にまで広がったようです。
当社は扁額に「一宮倭文神社」とあり米子市は伯耆国だったので伯耆国一宮の倭文神社の分社と思われます。

本殿より大きいですね。もしやこれも歳徳神さまが祀られている?
すてき
みんなのコメント(4件)
くるくるきよせん神祇伯さん こんばんは。
私は不勉強なのですが 倭文氏というと兵庫・大阪のイメージでした。
同じく渡来の秦氏は京都・滋賀・四国に広がったイメージです。
古代豪族というくくりで覚えていたのですが あってるのかな? 自信がないのですが。
倭文氏にしても 秦氏にしても 高度な技術を日本に伝えた氏族として祀られているわけですよね。
神ではないにしても神格化されて祀られ 大切に守られている。
社殿が大きくなくても 古代日本人の気持ちが現れている神社ですね。
こんばんは、くるくるきよせんさん!!
コメントありがとうございます。倭文氏と秦氏はどちらも日本全国にその拠点を広げていますが、広がる範囲が違いますよね。秦氏は豊後や備前、そして仰る通り四国にも居住した伝承があることから、関門海峡を通ってきた可能性があります。対して倭文氏は山陽ではなく山陰にその存在の名残があり、今の京都をなんかしてきたのかなぁという感じです。兵庫は広いので豊岡寄りならありますが神戸などの大阪寄りはあまり聞いたことないですね・・・
いずれにしても’’渡来系’’とは言われていますが今の外国人とは違い日本に帰化し、豪族として日本の発展に大きな貢献をした’’立派な日本人’’であると神社から感じますね。
ふむふむ 勉強になりました。
渡来してきたことには変わりはないけれど 古代日本を構成してきた「日本人」であるわけですもんね。
今の帰化とはずいぶん違いますよね。
倭文神社 気にしてお参りすることにします。
そう、よく分かっていらっしゃる。渡来人系だから彼らの信仰は大元はキリスト教だなんだと神社相手に言うのは野暮な話。神社は神社、神道として扱うべきだと考えてます。そういうのは研究者に任せとけばいいんです。
倭文神社、こちらの紹介の通りたくさんあります。くるくるきよせんさんほどのフットワークの軽さを鑑みればよく見かけるかと思いますので、是非ご参拝くださいまし。
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神祇伯1693投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(9/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
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