あわしまじんじゃ
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楽しみ方粟嶋神社のお参りの記録一覧

【粟嶋神社(あわしまじんじゃ)】
粟嶋神社は、鳥取県米子市彦名町に鎮座します。「伯耆国(ほうきのくに)風土記」によると少彦名命がこの地で粟を蒔いて、実ってはじけた粟の穂に乗って常世の国へ渡ったとあり、粟島は少彦名命の現世での最後の地といわれています。
-祭神ー
①少彦名命(すくなひこなのみこと)…大国主命と協力して国土の開拓と国造りをされた神。
少彦名命の終焉の地といえば、愛媛県大洲市にもありました。大国主命とともに大洲を訪れ肱川を渡ろうとした際、溺れてしまったと伝えられています。

【一の鳥居】

【社号標】

【二の鳥居】

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【参道】
187段の石段。

【随神門】

【天石門別神(あまのいわとわけのかみ):(豊岩窓神(とよいわまどのかみ)・
櫛岩窓神(くしいわまどのかみ))】

【天石門別神(あまのいわとわけのかみ):(豊岩窓神(とよいわまどのかみ)・
櫛岩窓神(くしいわまどのかみ))】

【拝殿】



【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【拝殿 扁額】


【本殿】

【出雲大社 遥拝所】


【随神門】

【伊勢神宮 遥拝所】


【荒神宮 鳥居】

【荒神宮】

【御祈祷所】

【豊受宮・歳徳神社】

【大灯籠】

米子市に鎮座する淡島信仰の神社で、鎮座地の住所は御祭神の少彦名神さまが取られています。記紀神話において少彦名神さまは大己貴命さまと国造りを終えたあと、常世の国に渡ったとされており、『続日本紀』内で引用される『伯耆国風土記』の逸文ではこの地が常世の国に渡った最後の地として伝承されているようです。

《鳥居》
左側には駐車場があります。

《鎮座地の地図》
鎮座地が丘でありながら「粟嶋」と名付けられているのは、かつてこの土地が海に沈んでおり新田開発によって地続きになった歴史があるからです。

《授与所》
裏に宮司さんのお宅がありましたが残念ながらお留守でした。

《手水舎》
水は流れていました。

《祈祷殿》
山上にあるためかご祈祷は山下でできるようです。

《由緒書き》
こちらもあの尼子家の崇敬が篤かったようです。

《表参道》

《随身門》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
少彦名神さまを祀る神社には2種類あり、古くから「天神社」として祀る神社と、お寺の末社を中心に「淡島信仰」の神社として成立したものがあります。淡島信仰の神社は和歌山の淡嶋神社を総本宮として、字違いで淡嶋、粟嶋神社があると思ってましたが、「粟」の字を使う方は当社が由来元になっている神社と言えるのかもしれません。

《本殿》
春日造となっています。

《豊受宮》
山下にあります。

《歳徳神社》
近所に歳徳講によって建てられた御歳徳神宮という神社があり、こちらの扁額にも「上講中」と書かれていたので、この地方では歳徳神さまの講がある程度確認されるようです。

《裏山道》

《御岩宮祠》

《静の岩屋》
人魚の肉を食べて不老不死になった娘(八尾比丘尼)が800歳で亡くなるまで過ごしたとされる洞窟です。なんやかんやで八尾比丘尼の伝承地を見るのは初めてかもしれません。

世間はゴールデンウィークですが仕事があったり天気が悪かったりコロナ禍だったりとなかなか外出できません⤵︎今日は久しぶりに天気が良いので大山の帰りに参拝しました😃相変わらず階段がヤバいですが😅久しぶりのお参りは気持ちが良いです🤗そういえば遅まきながら初めてアプリで投稿してみました😅

久しぶりのお参りです🤗

粟嶋神社の歴史が刻まれています。

御由緒書きです。

そりゃこんな急な階段なら杖もあるよね…😅

相変わらず階段ハンパねぇ😫

随神門が見えてきましたよ。

拝殿です。

拝殿の扁額です。

出雲大社の遥拝所です。

本殿です。

本殿と拝殿です。

子年ゆかりの神社らしく🐭がいますね☺️

伊勢神宮の遥拝所です⛩

いや〜急勾配😱

おや,境内社の⛩ですね。

境内社が見えてきました。

境内社です。

🙏

今日は良い天気でしたね😃ドライブで米子市まで。せっかくですから因幡伯耆国開運八社巡りの続きに入りましょう😆正直年内の参拝は無理っぽいので少なくとも今年ゆかりの(子年)粟嶋神社ではやくオリジナル御朱印をいただいてしまいましょう😅神社に着きましたが,予想を上回るとても迫力ある神社でした😆またまたおすすめの神社を見つけたぞ〜❗️拝殿までの急斜面の石段!米子城ゆかりの物語!八百比丘尼伝説!少彦名命の粟嶋神社への上陸地点!福井県小浜市で行われた八百比丘尼伝説の式典で講演なさった素敵な宮司さん!見どころ満載で楽しい〜‼️山頂にある拝殿と本殿も厳かな雰囲気で最高です‼️皆さん,是非参拝にいらしてください🤗その際は宮司さんとのおしゃべりも楽しいですし,とても勉強になりますよ☺️

粟嶋神社へ到着です⛩

一ノ鳥居のそばにお手洗いがありました。

社号碑です。

天然記念物ですって。

ここいら一帯は国指定の鳥獣保護区のようです。

粟嶋神社の自然と伝説についてです。

色々と興味がわきます。

歴史を感じさせます。

神社の造営記念碑です。

大きな石燈籠です。

境内に入ります。左に社務所,正面にニノ鳥居が見えます。

手水舎です。

御由緒書きです。

神社の御祈祷所です。元禄3年⁉︎5年⁉︎(忘れてしまいました😅)までは,ここに本殿等が鎮座されていたとの事です。

粟嶋神社の歴史(前半)です。

粟嶋神社の歴史(後半)です。

さあ拝殿に向かいましょう。うん?なんでこんなところにお賽銭箱が⁇

うわっ‼︎😵なんだこの急斜面‼︎なるほど,山頂まで参拝がキツい人達のためのお賽銭箱⁉︎⁉︎

参道途中に鳥居発見⛩境内社かな⁉︎次回探検するとしましょう😆

随神門が見えてきたよ!

随神門です。



境内に入ります。


拝殿です。

拝殿の扁額です。

拝殿と本殿です。

本殿を後ろから📸

本殿後ろに出雲大社の遥拝所があります🙏

本殿です。

本殿と拝殿です。

境内社です。

拝殿前の石燈籠です。

子年ゆかりの神社ですね🐭

さて戻りましょう。急斜面で怖いよ💦

宮司さん曰く187段あるそうですよ。

境内社です。

境内社の歳徳神社です。

歳徳神社の扁額です。

万葉集の碑ですね。

忠魂碑です。英霊に感謝を🙏

おや,また興味深いものが。let's go💨

分岐点に来ました。まずは御岩宮祠へ。

つきました。

少彦名命が最初に上陸されたところとの事です。粟嶋神社にとって聖地と言えるところですね。

お参りします🙏

少彦名命の上陸地点。いつもありがとうございます🙏

次は八百比丘尼の洞穴です。はしょりましたが実は分岐点から結構歩きます🚶♂️

お社です。

洞穴が見えます。

家族みんなが健康で長生きできますように🙏

ミスって逆さになっちゃいましたが社務所でオリジナル御朱印を押します。やっと二つ目だ。

今年中にコンプリートは厳しいかな…

ここでオリジナル御朱印ゲットです😆

社務所で宮司さんに御朱印を書いてもらっています。色々と楽しいお話ありがとうございました🤗

通称「粟嶋さん」。普段は木霊でも出てきそうな霊験あらたかなお姿、祭りの際には地元のやんちゃもんでにぎわうというミステリアスな神社さん。回りが田んぼで囲まれた、水の豊かな風景に存在します。
こんもりおかのうえ本殿。
マリモみたいな。
この急な階段を登って、いくのです
謂れ

「少彦名命」を主祭神とした大社造の本殿を持つ神社で、創建年代は不明だそうですが、古くは粟嶋大明神とも呼ばれていたそうです。現在の社殿は1936年に再築されたものだとか。
この神社は明神山(標高38m)の頂上に鎮座されておりまして、この明神山、かつては中海に浮かぶ島だったそうなんですが現在は陸続きとなっています。神社のある山頂までは187段の石段を登ることになるのですが、これが結構急こう配でキツイです。私の脚は死ぬ一歩手前でした。
頂上は当然限られた平地になるのですが、随神門や社殿がしっかり立てられています。境内周辺はスタジイなどの雑木林で囲まれていますが、枝の間からは空が見えるのでちょっと変わった雰囲気でした。そういえば、境内の一角には出雲大社の遥拝所が設けられていましたよ。
御朱印については社務所で頂けました。
そうそう、この明神山の西側には人魚の肉を食べて800歳まで生きたと言われる八百比丘尼さんが、隠遁生活を送った「静の岩屋」がありました。八百比丘尼伝説って日本海側の各地に多いんですよね。若狭が一番有名だと思いますけども。

明神山頂上の境内

拝殿

本殿

急階段の参道

神社前の大灯籠
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