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賀茂神社天満宮ではいただけません
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かもじんじゃてんまんぐう

賀茂神社天満宮
鳥取県 米子駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

10台程度

おすすめの投稿

らんでぃー
2021年12月25日(土)
337投稿

鳥取県米子市、米子城跡の麓にある賀茂神社天満宮を参拝いたしました。 米子市最古の社、米子(旧米子町)の総鎮守社とされています。 創立の年代は不詳ながら、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建されたであろう、とされています。 神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測される為、神社創建もこの時代に遡るのではないかと考えられます。 賀茂三笠山(米子城跡)を神体山とする、別雷神(ワケイカズチノミコト)と菅原道真神を主祭神とし、他五社を合祀しています。 社伝には米子の地名の由来もあり、①戦国時代、野田翁次郎というものが老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ八十八歳で子供に恵まれたことでが霊験と評判になり、「八十八」に因んで「米子」と言う地名が誕生した。 ②境内にある井戸「宮水」は、まだこの地が「米子」と云う地名が無く「賀茂の浦」と呼ばれていた頃、この地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、飲料水→「米を研ぐ水」から、古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」→「よなご井」と云った。 天正年間に、戦国武将・吉川元春が飯山に砦(米子城出丸)を築いた際に、此の地の「よなご井」に「米子」と云う文字を当てたので米子という地名が誕生したとする説。 ①の説は話としては面白く、おめでたい説ではありますが、「米子」と云う漢字がありきの説なので、私としては②の説の方がまだ真実味があるのでは、と思いました。 今回、賀茂神社天満宮さんを参拝させて頂いたのは、「米子に立ち寄った際におすすめの神社仏閣は?」と知人に聞いたところ、こちらを勧められたからでした。 なるほど、境内はさほど大きくないですが、綺麗にされていて清々しい雰囲気の神社でした。 宮司さんも気さくにお声がけくださり、御朱印も丁寧に対応戴きました。 ありがとうございます。 

賀茂神社天満宮の建物その他

賀茂神社天満宮・神社入り口の看板

賀茂神社天満宮の鳥居

賀茂神社天満宮・石鳥居

賀茂神社天満宮の建物その他

賀茂神社天満宮・米子名水「宮水」
米子名水の一つだそうです。

賀茂神社天満宮の手水

賀茂神社天満宮・手水舎

賀茂神社天満宮の本殿

賀茂神社天満宮・拝殿

賀茂神社天満宮の本殿

賀茂神社天満宮・本殿

賀茂神社天満宮の山門

賀茂神社天満宮・神門
稲荷神社天満宮を合祀する際、その本殿屋根を移設したそうです。

賀茂神社天満宮の御朱印

御朱印

賀茂神社天満宮の授与品その他

戌の御神籤

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歴史

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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賀茂神社天満宮の基本情報

住所鳥取県米子市加茂町2-212
行き方

米子駅下車 徒歩10分

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名称賀茂神社天満宮
読み方かもじんじゃてんまんぐう
通称賀茂さん
参拝時間

受付/9:00~16:00

参拝料

なし

トイレ社務所の隣
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0859-22-5780
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスfront@kamoten.org
ホームページhttp://www.kamoten.org/
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神《合》品陀和気命,事代主神,素盞嗚命,天照大御神,大穴牟遅命,少彦名命,《主》別雷命,菅原道真
創建時代不詳
ご由緒

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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