うべじんじゃ
宇倍神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
因幡国一宮です。町から少し離れた住宅地の近くにひっそりと立っており、神門、拝殿の建築様式がとても素敵です。
《一の鳥居》
《社号碑》
こちらはかつての社格を残したままですね。
《表参道①》
《二の鳥居》
例祭に舞われる獅子は「麒麟獅子」というもので、獅子、麒麟という縁起の良さそうな二種のハイブリッドです。
《表参道②》
横断幕が…猪突猛進!!
《手水舎》
《参集殿》
《扁額》
《本殿》
《拝殿》
今日のベストアングル!
#宇倍神社
ご祭神はタケノウチノスクネの命。
#武内宿禰命
古事記では建内宿禰命、日本書紀・因幡国風土記逸文では武内宿禰。古事記によれば第8代・孝元天皇の孫。日本書紀ではひ孫。第12代・景行天皇から第16代・仁徳天皇までに仕えた。
因幡国風土記逸文に彼や宇倍神社のことが書いてある。仁徳天皇の時は360才を超えていた。東のエミシを平定した後、因幡の国の宇倍山に入り、履き物だけ残して姿を消した。彼の終焉を目にした者は誰一人いなかった。宇倍山の麓にある宇倍社で彼を祀る、と。
因幡のこの伝承に影響されたのだと思うが、伊奈波神社(岐阜県岐阜市)によく似た話がある。あちらのご祭神はイニシキイリヒコの命。景行天皇の兄だ。古事記などには載っていないが、彼は弟によって陸奥(東北地方)へ派遣されたが、留守中、ざん言が理由で謀反の罪を着せられ、金華山の付近で追討軍と戦闘になった。だが戦いに嫌気がさし、金華山に姿を消したと
その後、イニシキの命は弟の夢に現れて潔白を訴える。真実を確かめるべく帝が美濃へ行かせたのが、若き日のタケノウチノスクネの命だったと。
エミシの地に入った点、山で忽然と消滅し、果てる瞬間を誰も目撃しなかった点が同じだ。
伊奈波神社の伊奈波も「いなば」と読む。これはイニシキの命が一時期、因幡の国を治めたという伝承か、彼がかつて因幡大菩薩と呼ばれたことにちなむようだ。
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