とよかわいなりとうきょうべついん
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方豊川稲荷東京別院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月25日(日) 18時55分41秒
参拝:2020年11月吉日
正式名:妙厳寺豊川稲荷東京別院
東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院であり、妙厳寺(愛知県豊川市)の唯一の直轄別院(飛び地境内)である。
大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする。その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。
その後、文政11年(1828)、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが東京別院の創建とされる。
江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。
明治20年(1887)、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新・増築も困難であることなどから、現在地(元赤坂一丁目)に移転した。
東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院であり、妙厳寺(愛知県豊川市)の唯一の直轄別院(飛び地境内)である。
大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする。その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。
その後、文政11年(1828)、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが東京別院の創建とされる。
江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。
明治20年(1887)、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新・増築も困難であることなどから、現在地(元赤坂一丁目)に移転した。
すてき
投稿者のプロフィール

竜王1837投稿
人生に迷い、惑い、思い悩んだ三十路も半ば、見えない力に縋りたくて神社仏閣を訪問する日々が始まる…。 全国行脚のなかで怪我や病気が治癒するという奇跡も体験し、素晴らしい出逢いにも恵まれました。 そ...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。



























































