しゅっせいなりじんじゃ
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楽しみ方出世稲荷神社のお参りの記録一覧

新宿区余丁町に鎮座する出世稲荷神社。周辺一帯は再開発の波が着実に押し寄せており、道路の拡張や新しい建物の建設が進められています。近年ではマンションが次々と姿を現し、街全体が新しい時代へと移り変わっていく途上にあります。にもかかわらず、この出世稲荷神社は、そうした変化のただ中にありながら、まるで時間の流れから切り離されたかのように、静けさを保ち続けています。境内に一歩足を踏み入れると、周囲の喧騒がすっと遠のき、都心とは思えぬ穏やかな空気が漂います。
一方で、境内の隣には児童遊園が併設されており、子どもたちの笑い声が絶えません。静と動が共存するその空間は、地域の暮らしに自然と溶け込み、古き良き信仰と新しい街の息づかいが交錯する不思議な魅力を放っています。
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。五穀豊穣、商売繁盛、そして出世開運を司る神として知られています。社伝によれば、創建は室町時代の長禄元年(1457年)、太田道灌によるものと伝えられています。道灌といえば江戸城を築いた武将として著名ですが、彼がこの地に祀った稲荷神が、現代まで変わらず崇敬を集めていることに、長い年月の重みと人々の信仰の厚さを感じずにはいられません。新宿という絶えず変貌を遂げる街の中で、出世稲荷神社は過去と現在とを静かに結ぶ、貴重な存在といえるでしょう。



東京女子医科大学病院近く。
場所が分かりづらい。周辺をぐるぐる。
変わった形の児童遊園内にあります。
小さな階段を上がると、遊具のある公園。さらに階段を上ると、出世稲荷神社がありました。
由緒の書いてる板がほとんど読めなかったが、グーグルマップの投稿写真(7年前)だと読む事ができた。
↓
御祭神 倉稲魂命
お稲荷様と一般にいわれ福徳開運子種の徳を
そなえた衣食住の守護神であります。
御由緒
長禄元年(約520年前)江戸城主太田道灌
によって当地に御鎮座されたものであります。
元禄年中には徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院の
信仰篤くしばしば角力も興行され特に賑わいました。
明治6年それまで栗津稲荷あるいは朝日稲荷と
呼ばれていたものを出世稲荷神社と改めました。
昔から農工商の神様として崇敬され特に当社は
武士の信仰篤く商売繁昌家内全隆除災特に
火災を守る神様として霊験あらたかであります。




現在、由緒書きはほとんど見えない

古そうな石物がいくつか。

社殿裏側

この時期にしては早起きして大井競馬場へ。東京大賞典は馬券だけを購入して退散。西大井駅から高田馬場へ移動し、穴八幡宮に参拝して一陽来復の御守を拝受。これで「やるべきこと」を済ませ、あとはフリープラン。土地勘のない方面へと進んだ先に現れたのが、東京都新宿区余丁町に鎮座する出世稲荷神社。
この辺りはマンションが次々に建設され、道路拡張や区画整理も進んでいるため、町の姿が大きく変化している。そうした流れを映すかのように、こちらの稲荷社には古びた印象がなく、社殿や境内は比較的最近に改築・改装がなされたような、全体的に新しい雰囲気に包まれていた。もちろん、それは人の手によって清潔感が維持されている証でもあり、境内に立つだけでどこか新鮮な気持ちにさせてくれる。
改めて眺めれば、出世稲荷神社は住宅地の中にぽつんと佇み、周囲とは異彩を放つ存在だ。交通は都営大江戸線・若松河田駅から徒歩5分ほど。御祭神は倉稲魂命。長禄元年、太田道灌の創建と伝わる。
境内は新宿区立余丁東児童遊園と一体化しており、隣接する遊具広場には子どもの歓声が響いていた。お城のような大型遊具や滑り台、ブランコが整備されていて、地域の家族連れが自然と足を運ぶ憩いの場となっている。その賑わいが神社に柔らかな空気を添え、街の暮らしと信仰とが寄り添う風景を形作っていた。

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