いつくしまじんじゃ
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経王寺を出て、次は抜弁天・厳島神社を目指す。
が、お昼の1時を過ぎており、また明日から12月なので防寒体制で出かけたが、
お日様も元気で少し汗ばむ状況のため、喫茶店で一息いれてから再出発。
※一息いれずに相当な距離をモクモク歩くと、身体も参っていたかも…と、
喫茶店を出てから思った。
この神社に近づくにつれてお店の看板などに「抜弁天」の文字が目立つようになります。
そして、大きな三又交差点が見えると、そこに神社がありました。
私が到着した時、若い女性の方が、かなり熱心にお参りされており、
私がお参りを済ますと、入れ替わりに20歳ほどのカップルがお参りに来るなど、
小さい神社ながらも人の流れが途切れませんでした。
神社の祠の右側にある社務所に「この周辺の見取り図」があり、新宿七福神の場所の
地図があり、近くに2つあるようです。
せっかくなのでこの後、お邪魔させていただきます。

東京都新宿区余丁町に鎮座する厳島神社。都営地下鉄大江戸線若松河田駅から徒歩8分ほどの距離にあります。交通量の多い「抜弁天交差点」に面しており、この交差点はY字型を形成しているのが特徴です。その根本部分、すなわち道が二股に分かれる地点に鎮座しているため、神社には二つの鳥居が設けられています。それぞれの道から参拝できる構造は非常に珍しく、「通り抜けのできる神社」としても知られています。
境内に一歩足を踏み入れると、厳島神社らしい水の気配に包まれます。中央には澄んだ水をたたえる池があり、そこを悠々と泳ぐ鯉の姿が訪れる人々の目を楽しませます。都心の喧騒のただ中にありながら、水音と緑が織りなす静寂の空間は、まるで時間がゆるやかに流れる別世界のよう。池のほとりに立つ社殿は整然としており、厳島神社本社(広島県・安芸の宮島)を思わせる優美な雰囲気を漂わせています。
境内に掲げられた由緒書によると、源義家公が後三年の役(11世紀末)に奥州征伐へ向かう際、この地に立ち寄り、安芸の厳島神社の神々に戦勝祈願をしたと伝えられます。戦が終わったのち、義家公はその御加護に感謝して、この地に厳島神社を創建したといいます。以来、当地の人々の信仰を集め、長い年月を経てもその崇敬は絶えることなく続いています。
また、この神社の名を広く知らしめたのが、「抜弁天(ぬけべんてん)」の呼称です。二方向に抜けられる参道の構造が「苦難を切り抜ける」ことに通じるとして、古くから庶民の間で「厄除け」「開運」「困難突破」の象徴として信仰を集めてきました。現代でも、受験や仕事、人間関係など、人生の岐路に立つ人々が「道が開けるように」と願いを込めて訪れる姿が絶えません。都心にありながらも、古き信仰の息づくこの厳島神社は、まさに“抜けの神”として人々の心に寄り添い続けています。
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25.06.21。先の永福寺より徒歩2分。都営大江戸線の東新宿駅と若松河田駅の中間あたりの新宿区余人町に鎮座。
《通称:抜弁天(ぬけべんてん)》
《新宿山ノ手七福神・辨財天》
御祭神 市杵島姫命
創建年 応徳3年(1086年)
社格等 旧無格社
【歴史】〜Wikipedia より〜
応徳3年、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083〜87)で奥州平定に向かう途中ここに宿営した。この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝祈願した。
そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられる。
義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内の参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられる。
本日の新宿山ノ手七福神巡り④
こぶりな神社ながら、綺麗に整備された境内は、池もあり鯉の姿も見られる、清涼感ある場所で癒されました。



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