あなはちまんぐう
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楽しみ方穴八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月24日(日) 18時42分56秒
参拝:2025年8月吉日
穴八幡宮は一昨年のオフ会前に一度参拝に来たのですが、「一陽来復守」の頒布期間だったため随神門手前まで行列ができていました。
何も知らずに伺ったので、何でこんなに並んでるのか状況が把握できずこの時は参拝を諦めました。
今回は参拝者もそこそこで、のんびり境内を散策しながらお参りできました。黒塗りの社殿がとてもカッコよかったです。
【縁起】
康平5年(1062)八幡太郎義家が後三年の役の凱旋後、当地に八幡宮を勧請して兜と刀を納め東北鎮護の社として祀ったのがはじまりです。
それ以降1569〜1623年の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。
寛永13年(1636)に、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永18年(1641)別当寺を建てるために南側の山裾を切り開いたところ、神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかりました。これを八幡神の本地仏として、高田八幡宮を改め「穴八幡宮」と称するようになったといいます。
江戸城北の鎮護として総営繕を命ぜられました。
(参考)
・穴八幡宮ホームページ
・東京古社名刹の旅
何も知らずに伺ったので、何でこんなに並んでるのか状況が把握できずこの時は参拝を諦めました。
今回は参拝者もそこそこで、のんびり境内を散策しながらお参りできました。黒塗りの社殿がとてもカッコよかったです。
【縁起】
康平5年(1062)八幡太郎義家が後三年の役の凱旋後、当地に八幡宮を勧請して兜と刀を納め東北鎮護の社として祀ったのがはじまりです。
それ以降1569〜1623年の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。
寛永13年(1636)に、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永18年(1641)別当寺を建てるために南側の山裾を切り開いたところ、神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかりました。これを八幡神の本地仏として、高田八幡宮を改め「穴八幡宮」と称するようになったといいます。
江戸城北の鎮護として総営繕を命ぜられました。
(参考)
・穴八幡宮ホームページ
・東京古社名刹の旅
すてき
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ひなぎく820投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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