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あなはちまんぐう

穴八幡宮のお参りの記録(2回目)
東京都早稲田(メトロ)駅

投稿日:2025年02月01日(土)
参拝:2025年2月吉日
東京で著名なお守り、御札の1つではないでしょうか。節分前なのでかなり並びました。

●来歴
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。

● 穴八幡宮の由来
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。

● 江戸時代の発展
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。

● 穴八幡宮の造営
慶安二年(1649年)、四十二坪の社殿を始め数々の殿舎が竣工し、また大名旗本からも種々の寄進があり、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により寛文・延宝・享保・元文と数次にわたり造営、営繕が行われました。特に元禄十六年(1703年)の造営は、江戸権現造社殿として壮麗を極めました。

● 幕末から明治維新
安政元年(1854年)、青山火事のため類焼し、幕府より造営料として金子三百両・槫木三千梃が奉納され、更に江戸市中を始め十七ヶ国の勧化を免許され再興に努めましたが、幕末の多事と物価高騰の為、仮社殿のまま明治維新を迎えました。

● 戦後の再建
戦後、いち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により、平成元年より慶安・元禄の江戸権現造の当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営を初め、隋神門や出現殿、鼓楼、手水舎など往時を偲ぶ姿に復すべく再建、境内整備を執り行っております。
穴八幡宮(東京都)
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すてき

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